2017.10.02

【印象に残っている本の一節】「天の瞳」幼年編 <1> 灰谷健次郎(D4 佐藤)

D4の佐藤朝美です。今回は、灰谷健次郎さんの「天の瞳」幼年編 (角川文庫) の一節を紹介したいと思います。

--
「どう答えたの?倫太郎ちゃんは」
「ハナクソって」
あんちゃんが机をたたいた。大声で、うれしそうに笑った。
--

このシーンは、主人公倫太郎が通う保育園における職員会で、「らくがき」が話題になった時のことです。子どもの自発的な遊び心をどこまで許容すべきか激しい議論が繰り広げられた後、園長の園子さんが倫太郎の作品を持ってきました。
ピンポン玉くらいの真っ黒な紙の球を見せながら、

    「まだ見たことのない絵、誰も真似のできない、世界中でたったひとつの絵を描いてくださいって、わたし、子どもにいったの。・・・そしてできたのがこの作品です。」

      と、園子さんは言いました。
      倫太郎はそのお題を受けて、和紙を色々折って染料に浸けて、工夫して、試行錯誤して、熱中して、出来上がったのがこの作品。その過程を見ていないユミコ先生は、作品を持ってきた倫太郎に、

        「なに、これ?」
      と言っちゃったそうです。すかさず

        「ハナクソ」
      と答えた倫太郎ですが、この回答が倫太郎の天衣無縫な性格をよく表していて・・・作品作りは限りなく熱中していて、一心不乱に取り組みながらの、この回答でした。


      私がこの書籍を読んだのは息子が生まれてすぐの二十代最後の歳でした。男の子の子育てがに想像がつかず、半ば途方に暮れていた状態でしたが、夫に手渡され、夢中で読んでしまいました。理解しがたいヤンチャな倫太郎のような男の子は、同級生にいたら一番キライなタイプです。新卒のエリ先生の半べそかきながら倫太郎とやり合う姿が自分と重なりました。が、倫太郎の一見理解しがたい不思議な行動が、あんちゃんとのやり取りや園子さんの鋭い観察、関わる人達との対話を通して、すごく納得し、倫太郎ならではの、ちょっと素直ではなく、型破りな反応が愛しく、頼もしく思うようになりました。男の子を育てることへのワクワク感とともに、幼児教育というものに魅力を感じたのもこの頃からだったかもしれません。

      下記は今でも新鮮に素敵だなと感じる園子さんのセリフです。

      ---
      「誰かが倫太郎ちゃんを台風みたいな子だっていってたけど、うまいことをいうと思った。台風には眼があって、その眼が大きくてきれいなほど台風のエネルギーはすごいのでしょう。子どもにはどの子にもそんな天の眼があって、生命の成長を暗示しているような気がするわ。子どもって不思議さをいっぱい持っている人間の原型だなって、子どもと暮らしてみて、つくづく思ったのね。わたしはそれを大事にしてあげたい」
      ---

      いまだに現場に行く度に圧倒されるばかりですが、子どもの不思議さ、エネルギーのすごさを大切にしていきたいと強く感じます。そして、不思議さを言語化し、エネルギーを上手くアウトプットにつなげていけるよう、日々精進していきたいと思います。


      佐藤朝美

    2017.10.01

    【印象に残っている本の一節】人生の実験室

    現代における大学の重要な役割は、
    それが"人生の実験室"として機能するという点にあるように思う


     私にとっての「印象に残っている本の一節は、「大学生論-戦後大学生論の系譜をふまえて-」という本の第六章「人生の実験室としての大学を考える-ある大学生の心の風景をまじえて-」の中に書かれた、この一節です。

    この一節は、橋本広信先生が書かれたものです。中学校や高校とは違い、決まりごとが少ない大学という場所で、どう過ごすことが正解なのか、どう過ごしたら楽しく、かつ、自分の過ごした時間に胸を張れるのかということを考えていた時にこの一節と出会いました。

    大学の入り口に至るまでに、気の遠くなるような時間とお金をかけたとしても、ただ何となく漂流したとしても、君たちの思いにかかわらず、四年という制約された時間は、着々と終わりに向かう。大学という大幅な自由が許された特殊な空間と、"大学生"という名のかりそめのアイデンティティを、学生証とともに受け取った君たち。君たちがそこでとった行動というものは、どういうものか。それが、大学の出口で試されることになるかもしれない。試されるというのは、けっして会社に就職するとか、仕事を持てるかどうか、ということだけではない。もちろん、そこでの試練が大きいのは事実だ。ただ、より本質的には、自分に対する自信、世の中に出て何かをできるという有能感。そんな目に見えないものも試される"自分"が試される。


    橋本先生は、自分に対する自信や世の中に出て何かをできるという有能感などのような、大学の出口で試されるものを「人としての付加価値」と呼んでいます。そして、何かを経験(実験)するだけではなく、そのことによって、大きくなっていく自分自身を感じ取るとき(自己変容)、初めて、人としての付加価値(実験結果)がついたと言えると、述べています。


    ここでのアウトプットは、"人としての付加価値"となっていますが、何かを選択する際の基準を作ることや自分にとって最適な学習方略の模索などもアウトプット(実験結果)や目的として含めたとしたならば、"人生の実験"は、大学以外の様々な場面でも行われていることだと思います。

    臆病な私は、"人生の実験"をすることに抵抗がありました。けれども、この本を読んで、何か停滞していることが逆に怖いことだと感じるようになりました。科学が、様々な実験の積み重ねの中で発展してきたように、きっと私の人生も様々な実験を行っていくことで、もっと豊かなものへと発展していくんだろうなと思うようになりました。大学以降の人生に、きっと与えられた実験は少ない。自分自身で、実験計画を作り、検証していく必要があります。それを楽しんでやっていきたい、そして、昔の私と同じように、"人生の実験"を行うのが怖い大学生がいたなら、その子の気持ちに寄り添いたい。今はまだ、うまく言語化できませんが、自分が今大学生の課外活動の研究をしているのも、キャリアレジリエンスという概念を従属変数として扱っているところにも、この本やこの本を読んで感じたことと強く繋がっている気がします。

    こんな感じで、うまくまとめることはできませんでしたが(笑)次の人にブログの担当を回したいと思います。

    【池田めぐみ】

    2017.09.25

    【印象に残っている本の一節】自動起床装置(D1 平野)

    「宿泊センターが自動覚醒機とかいう最新装置を買うらしいよ。おれたちお払い箱になるかもしれない」

    D1/内田洋行教育総合研究所の平野です。今回のブログテーマは「印象に残っている本の一節」ということで、ジャーナリストで小説家の辺見庸さんによる芥川賞受賞作『自動起床装置』(1991年)を取り上げたいと思います。

    通信社の宿泊センターで、仮眠する社員を指定された時間に起こす「起こし屋」のアルバイトをはじめた大学生の「ぼく」。アルバイト歴が長く、起こしの名人と呼ばれている同僚の聡は、法学部生だが睡眠や樹木に関する本ばかり読んでいる変わり者。そんなある日、自動起床装置が導入されることになり...。

    「起こし屋」という仕事のユニークさもありつつ、自動起床装置に象徴される現代社会への批判的まなざしも垣間見えるのが興味深いところです。今回ご紹介するのは、自動起床装置の導入を非難する聡の台詞です。

    「ところがさ、産業革命期をへて目覚まし時計というものが発達していくよね。眠りと覚醒を機械的に、強制的に区別しようという考え方が勢いづいていくんだ。おそらく、最初に目覚まし時計をつかったひとは、心臓をちぢめただろうな。......それからだんだんに覚醒時の方が睡眠時より大事という考え方、睡眠を覚醒に従属させる発想が普通になっていくんだ。......まちがっているかもしれないのにね。(略)......このへんでやめといたほうがいいんだ。無理がきているんだから」

    学習研究に引きつけると、「授業と授業外」「学校と学校外」など、学習がおきている時間とおきていない時間を明確に区別しようとする思想、あるいは「学習がおきていること」を「学習がおきていないこと」よりも「よい」ものとする考え方があるとは言えないでしょうか。こうした思想を自動起床装置のような形で具現化し、睡眠を支配しようとする考え方はある意味で教育工学的とも言えるでしょう。しかし、その思想はほんとうに正しいものでしょうか。自動起床装置によって、失われるものはないのでしょうか。

    眠りと覚醒を区別する思想、学習とそうでないものを区別する思想を超えて、人間そのものをもう一度、連続性の中で捉えなおすことが必要なのかもしれません。学習でないものの中に学習のタネがあるかもしれず、学習している時間が学習していない時間に生きてくるということがあるかもしれないですから。

    「(略)......眠りの世界ではいろいろなことが起きる。辛くて、狂おしくて、他愛なくて、突飛で、情けなくて......もう、すべてなんて言葉でおおえないほどすべてのことが起きる」

    追伸:辺見庸さんはこれを書かれたとき46歳、芥川賞を取られてからも数年間は共同通信社にて働かれていました。この作品にも通信社での経験が強く反映されています。社会人大学院生である私には、その「二足のわらじ」ぶりも印象的なのです。

    平野智紀

    2017.09.22

    【印象に残っている本の一節】職業としての小説家(D1 杉山)

     D1杉山昂平です.私にとっての「印象に残っている本の一節」は,村上春樹『職業としての小説家』にあります.村上がいかに小説を書いているのかその方法論を述べた本です.私は「日常生活」を描くところに彼の小説の良さがあると思っていますが,『職業としての小説家』ではその点についてこんな持論―自伝が展開されています.

    「僕は親の世代のように戦争を経験していないし,ひとつ上の世代の人たちのように戦後の混乱や飢えも経験していないし,とくに革命も体験していないし(革命もどきの経験ならありますが,それはとくに語りたいようなものではありませんでした),熾烈な虐待や差別にあった覚えもありません.比較的穏やかな郊外住宅地の,普通の勤め人の家庭で育ち,とくに不満も不足もなく,とくに幸福というものでもないにしても,とくに不幸というのでもなく(ということはおそらく相対的に幸福であったのでしょうが),これといって特徴のない平凡な少年時代を送りました.」

    村上は,前世代の文学者たちのようには,時代の転換による大きな悩みや,戦争のような強烈な体験をしていません.兵庫県西宮市・芦屋市の「良いところ」の子弟として日々生活してきた.だからそうした「軽い」日常生活しか自分には書けない.でもそれのどこがいけないんだ.それも小説になって良いだろう,というのが村上の意見です.


     彼の偉いところは,日常生活を書くために,それに適した文体を練り上げた点にあります.

    「戦争とか革命とか飢えとか,そういう重い問題を扱わない(扱えない)となると,必然的により軽いマテリアルを使うことになりますし,そのためには軽量ではあっても俊敏で機動力のあるヴィークルがどうしても必要になります.」

    そのために彼は,あえて語彙力で劣る英語でいったん執筆してから日本語に翻訳するというやり方をとり,シンプルで直截な文体を築きあげました.もし,戦争や革命を語るような文体で日常生活を描いていたとしたら,とてもちぐはぐで質の低い小説になっていたことでしょう.


     この一節に私はとても共感しました.村上と同郷で生活環境も似通っている私は,貧困や格差といった大きな社会問題にはあまり興味がもてないでいました.むしろ日常生活のリアルとして感じられたのが「アマチュア」や「趣味」であり,今はそれを深めるような学びを研究対象にしています.そんな私にとって,『職業としての小説家』は「いわゆる社会問題ではないものについても論文が書かれるべきだ」という信念を裏付けたり,「しかし,そのためには社会問題を論じるのとは別の問題設定や文体が必要だ」という技術への志向をもたらしたりしてくれました.端的に言って,この一節から勇気づけられたのです.
     日常生活のなかで人々のささやかな可能性の種をまき,発芽させていくような学び.それに注目するための理論や概念,それを支えるための学習環境デザインの実践論.こうしたものについて書いていくためには,それに適した「ヴィークル」を用意する必要があります.『職業としての小説家』にならいつつ,研究・論文においてそんな「ヴィークル」を用意することを目指していきたいと思います.

    【D1 杉山昂平】

    2017.09.20

    【印象に残っている本の一節】貞観政要(M1 中野生子)

    こんにちは。M1の中野生子です。だいぶ季節が秋らしくなってきました。大学の夏休みも今週で終わり、来週からまた後期授業が始まります。
    今回も引き続き「印象に残っている本の一節」というテーマでお送りします!

    ■ 私が選んだ一節
    私が選んだのは「貞観政要」という、唐の太宗と臣下達との政治に関する言行を記録した書物です。北条政子や徳川家康の愛読書だったとも言われています。尊敬する経営者に「貞観政要は最高のビジネス書である」とオススメいただいたのがきっかけで、苦手な漢文の書に目を通してみました。もちろん、解説付きで笑。
    中でも一番印象に残ったのは、三鏡と呼ばれる一節です。

    「太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。古(いにしへ)を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ。今魏徴徂逝し、遂に一鏡を亡へり、と。・・・其の逝きしより、過つと雖も彰すもの莫し。朕豈に獨り往時に非にして、皆茲日に是なること有らんや。故は亦庶僚苟順して、龍鱗にふるるを難る者か。・・・言へども用ひざるは、朕の甘心する所なり。用ふれども言はざるは、誰の責ぞや。斯れより以後、各々乃の誠を悉くせ。若し、是非有らば、直言して隠すこと無かれ、と。」

    少し長い一節ですが、意味は「太宗はあるとき侍臣たちに語って言われた『いったい銅を鏡とすれば(姿を映して)人の衣冠を正すことができる。昔を鏡とすれば(歴史によって)世の興亡盛衰を知ることができる。人を鏡をすれば(その人を手本として)善悪当否を知ることができる。我は常にこの三つの鏡を持って自己の過ちを防いでいた。ところが今、魏徴が死んで、とうとう一つの鏡をなくしてしまった』と。・・・『彼が死んでから後は、たとい過っても明らかにしてくれるものがない。我は、なんで(魏徴が生きていた)往時にだけ非があって、今日はすべて是であるということがあり得ようか。そのわけは多くの役人たちが、むやみに順従して天子の御機嫌を損なうことをはばかるからであろう。・・・臣下が言っても天子が用いないからであるという非難があるならば、我は甘んじてその責任を負うものである。しかし、我が用いても言わないのは、いったい誰の責任であるか。今後、各自がその誠意を尽くせよ。もし、悪いことがあれば、はばからずに直言して隠すことがあるな』と。」

    ■ なぜ印象に残っているのか
    特に三鏡の三つ目、自分の行動の是非は人に言ってもらわないと分からない、人間は自分のことが一番わからないから、耳が痛いけれど正しいことを言ってくれる人をどれだけ持てるかが重要というメッセージに、どの時代も人間の本質は変わらないのだなと思ったのが印象に残っています。
    魏徴のように何百回も言い続けてくれる人(友人・仲間・同僚等)を得るには、常に耳の痛いことを謙虚に受け入れる姿勢を持ち続けなければいけないなと痛感した一節でもありました。

    ■ まとめ
    この一節のみならず、貞観政要の中での太宗と臣下のやり取りは、言葉は違えど似たような、そして重要なメッセージが様々な表現で収録されています。人間は同じことを何回も何回も言われなければ分からない、月に1回良いことを言われても伝わらない、しかし同じ表現で言われても飽きて聞かなくなるから色んな表現で具体例を出しながら伝えていく必要がある、そんな学びを得た本でした。
    また太宗と臣下の会話は、唐の時代のものなのに、現代の人間が読んでも通じるものばかりです。人間の本質は古代よりあまり変わらない、だからこそ昔から良本と言われる本を読む価値は多分にある、と思い知らせてくれて一冊でもあります。
    人の学びについて考える時、どうしても自身の経験から語ってしまうことがありますが「人間は古代より本質的に変わらない」という点を踏まえると、自分が研究しようとしている「学び」について、その分野の論文レビューのみならず100年単位で人間がどういう思想のもとにどういう学びを得ようとしてどういう失敗をしてきたのか、そういう観点で見ていかなければいけないんだろうな、と思いました(遠い目笑)。
    貞観政要は一節一節読み進めるだけでもためになる本です。古典に興味がある人はぜひ読んでみてください。

    【M1 中野生子】

    2017.08.27

    【印象に残っている本の一節】 スイートリトルライズ (M1 宮川 輝)

    こんにちは。山内研究室・修士1年の宮川です。
    蒸し暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
    今回のブログテーマは「印象に残っている本の一節」になります。


    ■ 私が選んだ一節

    私が取り上げたいのは江國香織さん『スイートリトルライズ』の一節です。

    この作品は、それぞれが秘密の恋をしている主人公の瑠璃子と夫の聡(さとし)が、小さな嘘を積み重ねながら進行させていく夫婦生活・そして彼女たちの心の機微をとらえた小説です。その中でも特に印象深いのは、瑠璃子が不倫相手の春夫の部屋で共に過ごすシーンです。

    「今付き合っている彼女(美也子)と別れるかもしれない」と告白する春夫に対し瑠璃子は、自分と春夫は互いに「嘘をつけない関係」であることを指摘します。そしてその後に瑠璃子が発するセリフが、多くの読者にとって心に残っているであろう次の一節です。


    「なぜ嘘をつけないか知ってる?
    人は守りたいものに嘘をつくの。
    あるいは守ろうとするものに。」


    ■ なぜ印象に残っているのか

    この表現を初めて目にしたとき、私は「なんて人間の心の本質を捉えた言葉なんだ!」と思いました。しかし少し経ってから考えてみると「本当にそうか?」という気持ちも出てきました。

    その後に瑠璃子は「あなたが美也子さんに嘘をつくように。私が聡に嘘をつくように。」と続けるのですが、これは素朴な発想をすれば「夫婦の間であっても嘘がないに越したことはないし、不倫相手にも嘘はつけるんじゃないか...?」といった考えにも辿りつきます。

    とはいえこの瑠璃子のセリフにはどこか不思議な説得力があり、何度も自分の頭の中を行き来していくうち、気付けば忘れられない言葉になっていました。


    ■まとめ

    解釈の開かれた表現というのは文学作品における一つの魅力で、何度もその言葉を咀嚼していくうちに今まで思いもしなかった考え方に出会ったりすることがあります。こうした経験がある種の「学習」であることは間違いないでしょう。

    たとえば数学の問題が解けるようになるといった文字通りの「学習」ばかりでなく、開かれた意味を解釈するといったような、さまざまなタイプの学習を育むことにも目を向けていきたいと思いました。

    2017.08.19

    【印象に残っている本の一節】盲ろう者として生きて(M2 根本 紘志)

    【印象に残っている本の一節】、今回は東大初の盲ろう教授となった福島智氏による『盲ろう者として生きて 指点字によるコミュニケーションの復活と再生』をご紹介します。


    ■私が選んだ本と一節

    福島氏は小学生時代に視覚を、そして高校生時代に聴覚を失いました。視聴覚両方を失いながらも試行錯誤をしながら、筆者は指を重ね合わせてタイピングする「指点字」(→動画)というコミュニケーション手段を手に入れます。もちろん支援者の手伝いを得ながらですが、そのおかげであまり不自由ない形でコミュニケーションが取れているといいます。
    もともと見えて、聞こえていた状態からそれらが失われていく間には様々な出来事があり、様々なことを考え感じてきたはず。本書では日記などの資料を元にその過程が描かれ、考察されます。

    盲ろう者としてよく引き合いに出されるのはヘレン・ケラーですが、ヘレン・ケラーと自身の体験は異なると福島氏は言います。

    「ヘレン・ケラーの人生は、『覚醒』と『成長』の歩みであるのに対して、私は『喪失』と『再生』の人生を経験した」(著者まえがきより)

    ヘレン・ケラーは2歳頃に視聴覚を失ったため、そこから言葉を獲得していく過程に注目が集まりました。一方で福島氏の体験は一度手に入れたコミュニケーションの手段をほぼ失い、その後別の手段を手に入れていく過程と言えます。
    そんなことを考えながら本書を初めて読んだのは2012年でした。今回ブログの題材に挙げるに当たって改めて読み直したのですが、5年経つと印象に残る一節が大きく異なっていました。


    ・2012年に印象に残っていた一節
    「人はみな、それぞれの『宇宙』に生きている。それは部分的には重なり合っていたとしても完全に一致することはない。時にはまったく交わらないこともある。このように、ばらばらに配置された存在であるからこそ、その孤独が深いからこそ、人は他者との結びつきに憧れるのではないか。智の盲ろう者としての生の本質は、この根元的な孤独と、それと同じくらい強い他者への憧れの共存なのではないだろうか。」(p.336 12-4.孤独と憧れのダイナミズム)


    ・2017年(今回)印象に残った一節
    「『M: I君はいつおうちに帰るの? I:うーんとね、22日に帰ろうと思うんだけどね』その瞬間、私の内部で何かがスパークした。」
    (p.247 10−1. 喫茶店での出来事 「指点字通訳」の始まり)


    2012年の自分は盲ろう者の視点を通じて「人のあり方」のようなものに関心を抱いていたのかな、と振り返ってみて思います。この部分は谷川俊太郎氏の『二十億光年の孤独』も引用しながら力強く書かれており、自分にとってインパクトが大きかったのかもしれません。

    一方で、今回気になった部分に引っかかった理由は「メディアを用いた学習やコミュニケーションをデザインすることを考える時にヒントになるのではないか?」と思ったからです。(特に意図はしていないのですが、結局学習に関する話になりますね...)


    ■なぜ印象に残っているのか
    私たちは日々、大量の情報を用いてコミュニケーションを取り、学びます。視覚や聴覚が主ですが五感をフルに使って学ぶことの重要性も指摘されています。しかし、それらの一部が制限されたとしたら...コミュニケーションや学びの質は大きく変わるはずです。
    障がいを抱える方の学習については言わずもがなですが、メディアを用いた私たちの学習でも同じことが言えるのではないか、と本書を読んでいてふと思いました。

    今回取り上げた一節で福島氏は「スパーク」を感じたと言います。実はそれ以前から指点字という方法を用いて会話の通訳をするという試みは行われていました。しかし、福島氏はその通訳方法ではコミュニケーションが取れないと感じていたのです。この問題点について、取り上げた一節に続く部分では以下のように説明されています。


    「盲ろうとなって私がぶつかった第一の壁は、コミュニケーション手段の確保だった。第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、持続的に会話する相手を作ること。つまり、他者とのコミュニケーション関係を形成することだ。そして、第三の壁は、周囲の"コミュニケーション空間"に私が能動的に参加できるようにすること。言わば、"開かれたコミュニケーション空間"を私の周囲に生み出すことだったのである。」(p.248 10−1. 喫茶店での出来事 「指点字通訳」の始まり)


    「スパーク」が起きる前に行われていた通訳は「I君は22日に帰るらしいよ」といった具合でした。この通訳と先に挙げた通訳では、受け取り手の情報が大きく異なります。実際、台本のようなやり取りとして通訳を受けることで福島氏は「そうか、I君まだ帰る日を決めてないんか」とツッコミ役として能動的に会話に加わっていくことが出来たと言います。一方で伝聞系の通訳ではそうはいかず、「ああそうか」以外の返事はしにくくなってしまいます。

    ここで書かれている記述が「よくわかる(かも?)」と感じた経験が僕自身、複数回あります。
    それは、スカイプなどのオンライン通話ツールを使ってグループワークに参加している時です。大学で友人数名が議論をしている際、所用で大学に行けなかった僕はスカイプを使って議論に参加していました。大体の議論は何となくついて行けるのですが、大学にいる人たちがその場でちょっと盛り上がった話題やそこに通りがかった友人との会話などが混じると途端に会話からおいて行かれてしまうことがありました。また、議論に欠席した場合は議事録などを後ほど共有してもらうことになります。その場合も議論に入っていけるようになるまで少し時間がかかります。


    ■まとめ
    こうした時に自身が感じていた課題は「周囲のコミュニケーション空間に自身が加われていなかった」ということだったのだと思います。ICTツールが発達したおかげで「全くコミュニケーションが取れない、相手がいない(福島氏の言う第一・第二の壁)」ということはなくなったものの、その代わりに「コミュニケーション空間に能動的に参加する(第三の壁)」ということは起こり得る、むしろそれが今後メインの課題になるのではないか、とぼんやり考えています。

    そうした壁は実は視覚・聴覚が不自由な方にとっては以前からあったものなのかもしれません。また、その壁を越えて日常的に人と関わり、学ぶために様々な工夫がなされてきたのかもしれません。


    「盲ろうという極限にまで制約された情報のもとで生きる智にとって、最終的に智の認識とコミュニケーションを支えたものは、『感覚的情報』と『言語的情報』という二つのカテゴリーの情報による『複合的な文脈』の提供ではなかったかと筆者は考える。そして、この複合的な文脈を、新たな概念で把握し、『感覚・言語的情報の文脈』と筆者は命名する。」(p.301 11-5.視覚・聴覚を代替する複合的文脈 「感覚・言語的情報の文脈」)


    視聴覚を使うことのできない福島氏にとってコミュニケーションのために使える主な手段は指先(触覚)です。しかしその手段で伝える情報を工夫することにより、限られた情報伝達手段でも能動的にコミュニケーションに加わっていくことができるということを氏は実体験をもって紹介しています。

    障がいを持つ方々が...というだけでなく、私たちの日常の振る舞いにとって学びが大きい一節だと、読み返してみて改めて感じました。


    本書は福島氏の博士論文を元に書かれた本でやや取っ付きにくいかもしれませんが、冗談も混じる軽快な語り口で書かれていて面白く読めますので、ぜひお手に取ってみていただければ幸いです。また、本書以外にエッセイなどの著作もあります。

    【根本 紘志】

    2017.08.12

    [Memorable Passage from a Book] Zen Mind, Beginner's Mind (M1 Tetsuya Hasegawa)

    Hi! Today I'd like to introduce a passage from my bible "Zen Mind, Beginner's Mind" by Shunryu Suzuki.

    Shunryu Suzuki is a Japanese Monk who was one of the first to go to California and teach the art of Zen. Steve Jobs was one of his famous followers. Along with the philosopher D. T. Suzuki, they are understood as the "Two Suzukis" who introduced Zen to the western world.

    It is the last part of this book that gave me a slight shock of enlightenment. It ends like this.


    "We must have beginner's mind, free from possessing anything, a mind that knows everything is in flowing change. Nothing exists but momentarily in its present form and color. One thing flows into another and cannot be grasped. Before the rain stops we hear a bird. Even under the heavy snow we see snowdrops and some new growth. In the East I saw rhubarb already. In Japan in the spring we eat cucumbers."


    How was it? You might have felt. "Cucumbers!? What cucumbers?" Yeah, that really made me blow as I was so immersed in this book and all of a sudden the book ended with きゅうり. Besides, the best season for cucumbers is Summer!

    Anyway, I love this ending passage. It shows an insane level of sincerity and sensibility to the world as it goes. The flow of the Mind and the cycle of the Earth. The sadness and gratefulness towards being are miraculously crystallized here.


    So, this was my selection of a memorable passage. What is yours?

    M1 Tetsuya Hasegawa

    2017.07.28

    [Book Passage That Left an Impression] Nakagami, Japan: Buraku and the Writing of Ethnicity (M2 Lian)

    Konnichiwa! This is M2 Lian Castillo, this will be my final blog entry as a master's student for University of Tokyo/Yamauchi Laboratory. Time flies and parting is such sweet sorrow. My book excerpt will be of personal significance, but may also be relatable to people from all walks of life.

    Last year on my second semester as M1, I took some number of elective courses to cover for delaying 2 of my major subjects for the succeeding school year. With this, I took on ITASIA125: South and East Asia Compared, wherein we discussed various "caste type" systems within India and Japan. That of which is the Burakumin community- the untouchables, if you will. As such, in a very academic manner, one passage that appropriately describes /left an impression/ to me is the following from which I took a photo of on said date:

    [05/21/2016] Time of Reading:

    Nakagami would describe how his family spent the money for school supplies "given by the city, or the prefecture, or the country" for their daily needs. He describes being asked at school to draw a picture with a crayon and realizing his mother didn't know that was part of the school curriculum. He raced home to get money to buy crayons, and, when it came up short at the stationary store, the elderly shopkeeper let him have the crayons at a discount. He writes that from that day forward, the "cheap crayon" is the stuff his literature consists of, even to the present day.

    Wherein I respectively captioned: Struggle is beautiful.

    This passage is an excerpt from one of my assigned readings on Japanese Buraku author, Nakagami Kenji. It is quite a long passage in itself, but I deeply appreciated how a simple narrative could draw together a very vivid account of how we should not play victims to circumstance. Rather, the constant and upward progress towards a better standing is something that is truly even more so, deeply admirable.

    I would like to supplement this stance with a famous quote from Pokémon: The First Movie, quoting Mewtwo:

    I see now that the circumstances of one's birth are irrelevant. It is what you do with the gift of life that determines who you are.

    In the context of the movie, it relates less on a person's socio-economic status, birthright, or any of the seemingly worldly attributes. It was a basic trope on an entire race (Pokémon) versus the humans, who are at their worst are cruel, vicious, and malicious. However, in their humanity and imperfections, they are unpredictable with the other end spectrum: kindness, empathy, and altruism- all complement the darkness that encompass the world.

    From the utterly real unfairness of things, the burakumin, down to the representation through anime, my point goes down to embracing the colorfulness of our experiences. There will be ups and there will be downs, but the contrast between the two will makes the ups all the more worthwhile. Being born with privilege might make one not want for much, but throughout my studies coupled with rich life experiences, I find that people who have something to yearn for are at their maximum fulfillment.

    Conclusively, dear reader, I leave with the message that whatever your dreams and aspirations may be, keep peace with yourself. Never compare your progress with that of others, and be proud of the little things that you have accomplished- for one day, we will look back and see that they were the big things.

    For one last time, signing off
    Lian Sabella Castillo

    2017.07.23

    【印象に残っている本の一節】星の王子さま(M2 林怡廷)

    こんにちは。M2の林怡廷です。
    暑い日が続いていますね。花火大会の季節が来ましたが、みなさんはどこの花火大会に行きますか?
    さて、今回のブログテーマは、【印象に残っている本の一節】になります。

    ■私が選んだ本と一節

    私が選んだのは、1943年4月6日に出版されたフランスの作家・アントワーヌ・サン=テグジュペリの小説「星の王子さま(Le Petit Prince)」です。 言うまでもなく、「星の王子さま」は世界中から愛されている名作で、今までは250以上の言語に訳されてきたそうです。私自身も星の王子さまが大好きで、いろんな言語の星の王子さまの本を集めています。ちなみに現在は台湾華語版、英語版、フランス語版、日本語版を持っています(笑)

    この本の中では、心に沁みるの名言がたくさんあります。

    「おとなって、はじめはみんな子どもだったのだから。(でもそれを忘れずにいる人は、ほとんどいない。)」

    「ものごとはね、心でみなくてはよくみえない。大切なことは、目に見えない。」

    印象に残った節がたくさんありましたが、一番胸に響いたのはこの節でした。

    「きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。だからぼくは、別にきみがいなくてもいい。きみも、別にぼくがいなくてもいい。きみにとってもぼくは、ほかの十万のキツネとなんの変わりもない。でも、もしきみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる。きみはぼくにとって、世界にひとりだけの人になる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる......」
    (サン=テグジュペリ「星の王子さま」新潮文庫 河野万里子訳)

    キツネと仲良く遊びたい王子さまに対して、キツネはなついていないからできないと言いました。 なつくってどういうこと?と王子さまは聞きました。 するとキツネが「『絆を結ぶ』ということ」と答えました。なつかせることで、王子さまはキツネにとって特別な男の子になり、キツネも、王子さまにとって唯一のキツネになるのです。

    ■なぜ印象に残っているのか

    この一節が印象に残っているのには、自分自身の経験と強く結びついています。なつかせたりはしないですが、人とのつながりをいつも大切にしています。

    人と人のつながりはどういうことでしょうか?人間はいつでも、「意味付け」をしていると思っています。 子どもの頃から、私たちの周りには様々な人間関係が存在しています。それは、人々が互いに意味付けているからです。そうすることで、同級生、知り合い、友達、親友、恋人......もともと関わりのない人は、付き合う中で意味付けをすることで、自分にとって大切な存在になってきます。また自分も、異なる人にとって異なる存在になります。お母さんにとってはただひとりの娘であり、先生にとっては数多くの生徒の中のひとりであり、同期にとっては一緒に戦う仲間であり......。

    絆を結ぶ、つまり、意味付けをすることで、人間関係が成り立つのです。そしてその絆は、時の移り変わりと共に変化していきます。強くなったり、弱くなったり、新しくできたり、消えたりします。そのような変化の中で、私たちは成長し、おとなになるだろう。

    もちろん、人に対するだけではなく、物に対しても意味付けをします。意味付けをせずにものごとを理解するのは不可能です。そうすることで、自分なりの世界を構成していくのです。ただし、それぞれの環境が異なるから、この世界を違うふうに解釈するだろう。

    ■まとめ

    この本は、何年前かはじめて読みました。今回はブログを書くために読み直しましたが、また目がうるんできてしまいました。

    本の中の王様、実業家、点灯人など、様々な職業の人がいるように、みんなにとって人生の意味が違います。時々は、意味を見失ってしまいます。訳者によると、作者の分身だと考えることができるし、パイロットも作者の分身であるはずですから、星の王子さまは、作者と子どもだったころの自分との対話かもしれないです。王子さまが言ったように、人間は特急列車を乗っているのに、なにを探しているかわからないのがとても悲しいことです。そうならないため、時々初心を振り返って自分と対話するのが大事でしょう。

    自分は何のために国を離れ、日本に来たのか?何のために大学院に進学したのか?叶えたい夢は何か?ちゃんと自分の目標に向かって努力しているのか?これからも、自分にとって大切な人と大切なことを忘れずに前に進みたいと思います。

    今回もご覧頂きありがとうございました。

    【M2 林怡廷】

    PAGE TOP