2016.12.27

【2016年、山内研ではこんなことあったよ】教育工学会 in大阪大学

こんにちは。山内研M1の花嶋陽です。
2016年も残り388,000秒ということで、理想状態のボルトが4,311,111m走りきるこの間に、M1勢が駆け足で今年を振り返り、新年に備えるという短編シリーズになります。

ということで今回は、2016年9月17~19日に行われた教育工学会について、私の印象深かった発表についてご紹介したいと思います。

教育工学会は、教育工学の分野に携わっている研究者や教師、学生などが一同に会する学会で、今年は大阪大学で行われました。
発表内容も、授業実践や教師教育、教育テクノロジー、看護教育など多岐にわたり、口頭発表やポスター発表、研究会の講演、ワークショップなど様々な形で日頃の研究成果を共有し合っています。

その中でテクノロジー好きの自分的に興味深かった発表として以下の二つを挙げたいと思います。

<VRを利用した鑑賞型学習支援手法の開発>
学校での美術教育において、絵画や彫刻などを鑑賞する際には、本来であれば遠くから全体を見たり、近くで細部を見たり、様々な角度から構図を確認したりと、実物を目の前に鑑賞するのが望ましいのはお分かりになると思います。しかし現実的にそれを行うのは難しく、やむなく教科書に載せられている2Dの絵を題材にするしかないという課題に対し、VRの利用ということを考えているのが、この研究です。
発表自体は、VRの技術的な面に関するものが多く、VRといっても、鑑賞空間全体をヴァーチャルにするか、現実の教室風景にヴァーチャルの絵画を載せるかなど様々なやり方がありますが、その手法と鑑賞者の感覚的な評価といった内容の発表でした。
これから高度なテクノロジーが広く普及する可能性を秘める中で、今後の学校教育の未来を感じさせてくれる発表でした。

<ゲーム型反転学習の試行と評価>
ゲーム型の教材を事前に行い、対面でより深くその内容についてのディスカッションを行うことで、学習効果を高めるという研究でした。
内容は、万有引力など基本的な物理法則についてのもので、ゲームとしては逆転裁判(弁護士となって裁判を行っていく人気シミュレーションゲーム)風の設計で、ギリシャ時代における天動説の論者となって、地動説論者を打ち破っていくという内容になっています。
ここで面白いのは、単に物理法則について学ぶだけでなく、自分の論を支持してくれる根回しを行うなど、単に「正しい」ことが科学の「真実」とされるのではなく、科学者や民衆間の「合意」によってその「正しさ」が作られるということを学べるような設計になっていることです。
実際に大学生に行った結果として、ゲームによる反転学習を行った生徒の方が、応用問題においてテストの点数が高いというものが出ています。
ゲームは、動機付けという面だけでなく、知識を有用なものとしたり、組織したり、現実との結びつきを強めるなど、上手に設計できれば様々なメリットがあります。このような研究事例がどんどん増えることで、教育環境がよりクリエイティブなものになれば良いなと思います。

今回は紙面の都合上二つの発表に絞らせて頂きましたが、まだまだ面白い発表はたくさんあります!
ご興味がもしおありでしたら、有料ですが誰でも参加することは可能なので、ぜひ来年の教育工学会に足を運んでみてはいかかでしょうか。

【花嶋陽】

2016.11.10

【山内研っぽい1冊】「未来の学び」をデザインする

 今週の【山内研っぽい1冊】シリーズ、D3佐藤朝美が担当します。 
 山内研には、隠れ美大派閥があります(!?)。下記、個性的なメンバーで、自由な発想、常識にとらわれないエッジの立つ方々にも関わらず、研究という枠組みでエビデンスを残すことにトライする(した)チャレンジャーな面々です。

 ・八重樫文(武蔵美出身:2004年度卒)
 ・早川克美(武蔵美出身:2013年度卒)
 ・(武蔵美出身:D3)
 ・吉川久美(武蔵美出身:M2)
 ・江崎文武(東京芸大出身:M1 [※1])
  [※1] 「芸大」ですがゆるくグルーピングさせて頂きます

 そんな方々が研究室に集まり、一定の卒業生・在籍生がいることは、山内先生の視野の広さ、思考の柔軟さ、研究領域の可能性の大きさを示しているのだと思います。そして今回、背景が多様な人達が集まる山内研究室らしい一冊として、「『未来の学び』をデザインする―空間・活動・共同体」を挙げさせて頂きます。

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「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体
美馬 のゆり (著), 山内 祐平 (著)
東京大学出版会 (2005/04)
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 10年前の出版となってしまいましたが、当時研究室で学び始めたばかりの私にとって、「学びをデザインする」という言葉は何よりも新鮮でした。学びの楽しさ、学び続ける大切さ、学ぶ活動そのものが変化していくことなど、今も色褪せないコアな要素が凝縮されています。本書では学びの形を、「空間」「活動」「共同体」の3つの角度から解説しています。

「空間」
 ここで私が驚いたのは、「美術系大学における学び」が取りあげられていた事でした。作品を制作する空間をアトリエ的学習空間と捉え、制作的過程が他者に見えること、インタラクションが共有されることを学びの重要なポイントとして注目しています。雑多な空間で制作してた体験を改めて振り返り、あのような中にある学びが、「学び」として捉えても良いのだという不思議な感覚を覚えました。

「活動」
 ここでも「ものづくりを通した学び」について着目されており、とても新鮮でした。「ものづくり」が学ぶことへの動機づけとなり、それが深い理解につながること、確かに私自身も多々経験してきました。疑問を持たず過ごしてきた体験にメスを入れて下さり、「つくって・語って・振り返る」ことの効果を示している内容が、目からウロコでした。

「共同体」
 この章は、「学習は一人でするものですか?」という問いかけから始まっています。昭和世代の、ハモニカ校舎で、一斉講義中心の、ただひたすら聞いて学ぶことが「教育」であると考えてた私にとって、そうは言っても・・・と飲み込めないテーマでした。が、「いくつかの領域にまたがる境界での実践における葛藤状態が、新しいことを発見したり発明したりする『創発的学習』のための土壌になる」という解説は、今の共同研究をやらせてもらっている状況において、鋭く突き刺さります。

 以上、個人的な振り返りからの内容紹介でしたが、「未来の学び」をデザインすべく、多様なジャンルの方が山内研究室に集まる理由が伝わったのではないかと思います。

 ちなみに・・・
 美大出身メンバーが手がける下記書籍を携えていたならば、ツウな方から山内研っぽいねと指摘されるかもしれません♫

デザイン・ドリブン・イノベーション
Roberto Verganti (原著), 佐藤 典司 (翻訳), 岩谷 昌樹 (翻訳), 八重樫 文 (翻訳)
同友館 (2012/07)

デザインへのまなざし―豊かに生きるための思考術
早川 克美 (著)
幻冬舎 (2014/4/3)

 そして・・・
 本ブログをきっかけに、未来の美大出身メンバーが増えることを密かに願ってます!

 【山内研っぽい1冊】シリーズは今週で終わりです。次週から新たなテーマが始まります!どうぞお楽しみに・・・

佐藤朝美

2016.11.04

【山内研っぽい1冊】『Lost Opportunities』

こんにちは。D1の池田です。山内研っぽい1冊シリーズも残す所2回となりました。
今回、私からは『Lost Opportunities』というタイトルの本を紹介しようと思います。

学校外における子どもたちの学びについて書かれた本で、2014年度に山内研で輪読していた本でもあります。

さて、学びとはどう言った場で起こるものなのでしょうか?
一般的に、学びが起こる場所として学校や教室とイメージする人が多いかもしれません。
しかしながら、我々は学校においてはもちろん、学校外の場所、時間においても様々なことを学んでいます。

この本の中で紹介されているものを例にとると
例えば、水族館に訪れた親子の以下の会話の中にも科学に関する学びがあります。
例) 2歳の女の子と父親が、水槽の中で泳いでいる魚を見ている場面における会話
女の子:なんでこの魚は毛皮を動かしているの?
父:毛皮?これはえらだよ。
女の子:なんで、この魚はえらを動かしているの?
父:水中で呼吸をするために魚たちはえらを動かすんだよ。

会話の中で父親は目の前のこの魚だけではなく、「水中で呼吸をするために魚たちはえらを動かすんだよ。」と述べることで、目の前で起きている個別具体的な事象を一般化しています。認知発達の観点からみても2歳児は、目の前で起こる個別的な事象が、個別的にだけ起るのでなく、一般的な事象であるということを理解できるとされているため、女の子はきっと、魚たちはエラを使って呼吸をするんだということを学んだと考えられます。

このように、授業や教科書を通じてはもちろんのこと、日常の中で、様々なものを見る中で、他人と会話をする中で"学び"が生じています。また、学外で経験したことや学んだことを、学校での学習に生かすことによってより深い理解が促されることも示されてきています。
『Lost Opportunities』では、特にSTEM領域の学習を中心に、教室外での学びや、教室外で得た知識と学校での学びの接続等についての研究について紹介されています。面白い事例がたくさんのっているので興味がある方は是非。以上、様々な場面での学習を扱っているところが、なんだか少し"山内研っぽい"と思いこの1冊を紹介させていただきました。最終回はD3の佐藤さんです。

【池田めぐみ】

2016.10.22

[In Essence] International Development of Education

Hi, everyone! This is Lian, now recently M2. It's been long since I last wrote for the blog. Summer "break" has been terribly busy and incredibly fast. I had been jumping from one corner of the world and experienced this season in multiple countries. To describe it hectic would be an understatement, yet I probably would not have wished it have it any other way. Ah, per aspera ad astra.

This time the theme for the blog is to introduce a book. But what book might I possibly introduce that is of valiant relevance to the laboratory? I have not been reading much Education Technology books in the break as I should have, aside from existentialism, Sickness unto Death, among others. Alas, I could think of one good book I have read through and through, from my spring term. It is Globalization of Education: An Introduction by Joel Spring (2009). I thought it a good book in the face of emerging trends and globalization, also especially interesting to discuss because of various points that could be easily countered.

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[1-2] The book begins with the Knowledge Economy Theory, or more often referred to as the Human Capital Theory, and how it is used in global education policy making. Criticism faced by the Education for Knowledge Economy movement is that job availability is not congruent to the graduating demographic. This is further exemplified by the trend of lowering the funding for liberal arts education in lieu of STEM fields. There is still however a huge demand for technology-related jobs that is emanating in developed countries. One of the necessary skills in the industry today, for example, is programming which has a low human resource output. There is an influx of nurses, English graduates, chemical engineers, astronomers, etc. being outsourced by IT firms which questions the mismatch of interests and demand.

[3-5] The increased trend in globalization of education brought forth the dominance of the English as a medium of instruction. Chapter 4 discusses this, along with examples of marketing knowledge in higher education institutions. Spring points out that, English-speaking countries are at an advantage due to their relative attractiveness to international student prospects. Truthfully so, other countries follow suit with their brand name universities offering English programs, such as the program I am taking at the University of Tokyo. To gain admission to this program, it is required to submit scores from standardized tests offered by ETS namely GRE and TOEFL; both of which had also been pointed out to contribute in the standardization of education worldwide.

A fascinating proposition raised in this chapter is the notion of a "Global University", wherein the ideal set-up is a combination of a number of internationally acclaimed faculty not limited to one university. This could be done in a mixture of virtual, campus movement, or whatnot. This vision is slowly being realized through e-learning media such Coursera, edX, and the like. There are also a number of institutions offering cross-campus instruction and double (or any extent of multiple) degree programs. HEIs are also in the trend of forming coalitions for research collaboration and global exchange. One such affiliation is with the International Alliance of Research Universities (IARU), in which summer exchange and internships within member institutions are offered annually.

In contrast to the world theorist's common global model of education, culturalists argue that there is instead a flow of borrowing and lending of educational ideas; these said ideas are not copied as is and are subject to adaptation due to local conditions. The book further states, "To validate or criticize a school policy, local actors might refer to an imaginary global community such as international standards." (p. 121)

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In this brief overview I covered what I believed to be the important points of globalization and education. Although Yamauchi lab members have very specialized interests that cover very specific technological and pedagogical techniques outside the realm of the globalizing trend, I would still very much recommend the book. It provides examples for interesting topics that differentiate the Western dominating culture and "Oriental" methods, which could give to explain the origins of present practices and forthcoming trends.


Au revoir,
Lian

2016.10.20

【Research Plan】Community Building for xMOOC in Post-MOOC Era

Hi everyone! This is M1 Zhou Qiaochu from China. I start my master in ITASIA program at the University of Tokyo this fall and am lucky to be at Yamauchi Laboratory with all of you.

I graduated in 2016 with B.A. in Teaching Chinese as a Foreign language. It was my internship in an International School and the popularity of our generation utilizing the online learning that aroused my great interest in MOOC studies. Having been to the seminar twice after enrollment, I am really inspired by the diversity of research fields in our laboratory. I will also exert myself for the research.

【Overview】

Stepping into the post-MOOC era, xMOOC where the x stands for extended (as in TEDx, edX) is expected to gain more momentum than cMOOC. It is revolutionizing the way the knowledge is distributed. However, xMOOC has encountered several impediments, most notably, an excessive dropout rate, less effective results and the lack of specific and effective teaching structure. My study, then, will consider the effectiveness of community building in online courses to address some of these problems.

One tentative answer can be, not everyone can learn in a purely digital environment. In other words, technology will not automatically afford specific learning outcomes. The most important thing that helps students succeed in an online course can be the interpersonal interaction and support. The "empathy" theory by Holmberg was among the earliest attempts to stress emotional affordance in distance education. Now, even more powerful influence between participants on the creation of empathy in MOOCs, the community, is garnering attention.

As for community in xMOOCs, it does have direct correlation with emotional effects and improved completion rate. With interaction online or offline, learners find a sense of belonging. Because there is non-academic or social side in the learning processes, to reinforce group membership, being perceived as an in-group member, making MOOC a connectivist learning platform where interactions among participants are the pillar of knowledge creation. Ultimately, for best results, it should be community of learning and community of practice.

【Focus and Goal】

The specific focus of my research is the importance and thus improvement of community support in the virtual learning environment especially with the following questions. First, to what extent can community support improve xMOOC effectiveness? Second, to what extent will a balance between online and offline community building efforts improve xMOOC effectiveness? Third, what features of social interaction are currently absent from xMOOC? Fourth, in what ways, if any, will building online community be potentially counterproductive?

The ultimate goal of this research is to explore possible answers to the above questions, with sample from established online international education sites such as edX, Coursera, Udacity and other major Chinese xMOOC sites as well as representative individual surveys. I wish to fulfill the goal during my two years master. Also, I would improve my Japanese to get better understanding for everything here. 皆様、これから宜しくお願い致します!


【Zhou Qiaochu】


2016.10.10

【山内研っぽい1冊】『インターネットの子どもたち』

こんにちは!修士1年の林です。
10月に入って、天気もどんどん涼しくなってきましたね。キャンパスの中にも銀杏の匂いが漂っていて、秋の到来を感じました。
日本では、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋......色々ありますね。みなさんは、どんな秋を過ごしていきますか?(ちなみに私は食欲の秋が一番好きです。)

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい一冊】ということです。
このシリーズでは鞄の中に入っていたら「もしかして山内研の人ですか?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するシリーズです。今回私が紹介したいのは『インターネットの子どもたち』という本です。

著者は認知科学者の三宅なほみさんです。他にも、『学習科学とテクノロジ』、原田先輩が紹介した『教室にマイコンをもちこむ前に』など、学習とテクノロジに関する本を編著していました。
本書は1997に出版されました。私はまだ保育園に通っていて、インターネットの普及が始まった時代です。子どもたちの学びや遊び、コミュニケーションなどがインターネットの普及によって、変化し始めました。そんな現状を報告しつつ、どうしたら子どもたちがコンピュータを自己表現のための創造的メディアとして使いこなせるようになるかを考えるのが本書です。


本書の7つの章で構成されています。読んで特に興味深い感じる章を紹介していきたいと思います。

第2章「インターネットで学びが変わる」は、認知科学の観点から、インターネットが学ぶことにもたらす変化について議論しています。
「人が持っている知というものも、一人の頭の中に何がどれだけ詰め込まれているかでその質が決まるのではなくて、どんな時にどれだけ引き出せるか、引き出して結果がどれだけ他の人の知と相互作用を起こしてよりよく変われるか、というような側面が大事だということになってきつつあります。(p.40)」
このような「知のネットワーク」という見方は、今の私たちに対しては当たり前のことではないでしょうか。協調学習における知識共有、知識構築などの過程は、インターネットのおかげでより簡単にできるようになってきます。
したがって、このような情報化時代に求められる能力も変わりつつあります。情報を覚えることよりも、情報をいかに手に入れ、活用し、さらに他人と伝え合うかの能力が大事になってきます。

第5章「インターネットで英語を学べるか」は、英語教育のあり方とその真実性(authenticity)について議論しています。自分の研究テーマにも関係ありますので、興味深く読みました。
ネットで英語教育といえば、書いた英文文章を送ると添削してくれる「文法教室」のようなものはネット上にたくさんありますが、それより、実際のコミュニケーションが生まれることが期待されています。
「英語教育に真実性を持たせるためにインターネットの役割が期待されています。......インターネットが利用できれば、本物のコミュニケーションのための英語が教室に居ながらにして学べるではありませんか。(p.123)」
そして、著者は英語教育に「足場かけ」という考え方を持ち込むと、英語教育観はまた変わると述べました。インターネットを利用し、自分が興味を持っているテーマのプロと英語でコミュニケーションを取ることになったとしましょう。その場合は、自分の英語がちょっとおかしくても、おそらく向こうがプロだからわかってくれるでしょう。それで情報交換ができるのです。このようなプロセスを繰り返すことによって、その領域に関する用語には強くなるでしょう。「これは、この教育実践の場が、先に問題にした真実性を大事にしていればなおさらそうなるはずです。......教育の場の真実性は増し、豊富で質の高い手助けを大量に与えられて、学習者はどんどん英語でのコミュニケーションが得意になっていくはずです。(p.128)」
私自身の経験から言うと、日本に来る前に日本語は喋れますが、教育工学に関する専門用語はまったく知りませんでした。そして、日本に来てから、ゼミに参加して、研究室のメンバーたちと教育について議論する中で、自分の語彙量が増えたと強く感じています。インターネットの環境で、海外に行かなくても世界中の専門家と話すことができるから、真実性のあるコミュニケーションが取れるのではないでしょうか。

この本はおよそ20年前の本ですが、その中の考え方は今日読んでもすごく心に響きました。まさに予言みたいに、本の中に書かれたように、インターネットで私たちの学びは大きく変わりました。MOOC、SNS、アプリなど、たくさんの学習メディアが溢れているこの時代、これから学びはどう変わっていくのを楽しみにしています。


【林怡廷】

2016.10.04

【山内研っぽい1冊】佐伯胖『理解とは何か』

ブログ更新がすっかり空いてしまい、失礼をいたしました。
大学院は8月9月が夏期休業期間で9/26から秋学期が始まっています。私たち修士1年の学生は自分の研究に加えて8月〜9月上旬:夏合宿とそれに向けた準備(フィールドワークの調整、古典の読み込み)、9月中旬:学会への参加 といった形で夏休みを過ごしました。その様子も機会があればぜひ紹介したいと思います。
皆さんはどのような夏を過ごされたでしょうか...?


さて、残すところわずかとなってきた「山内研っぽい1冊」。
このシリーズでは鞄の中に入っていたら「もしかして山内研の人ですか?」と言われてしまうような1冊を紹介しています。今回は認知科学者の佐伯胖氏が編集し、各分野の著名な研究者が執筆している『理解とは何か』をご紹介します。


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「理解できた?」と当たり前のように私たちは「理解」という言葉を使いますが、「理解している」とはどういうことか...?
実はかなり難しい問題だということに、本書のタイトルを見た瞬間に気付かされます。そして本書を読み終わった後に「理解とは何か」ということに対する明確な答えを手に入れることは残念ながらできません。


本書は5章から成っています。
様々な専攻の方が「理解」について語る、認知科学寄りながらもやや学際的な構成です。


1章は科学思想を研究されている村上陽一郎氏。
これまでの科学において「理解」がどう作られ、どう変わってきたかを紹介します。新しい科学的発見がそれまでの常識をひっくり返す瞬間を考えてみると、理解はその時々の状況に依存するのではないか、という問題提起がされます。


2章では代数学の研究者で数学教育に取り組まれた銀林浩氏が、算数・数学が「できる」ことと「わかる」ことの関係について論じます。
小学校低学年の子どもは「できる」ことを重視するが学年が上がるにつれて「わかる」ことが気になってくる。それらは人が物事をどうイメージするのかと関連しているのではないかと言います。


3章担当は認知科学、学習科学の研究者三宅なほみ氏。
彼女の博士論文を元に人の理解がどう作られ、どう揺さぶられて再構成されるか、理解の過程で他者がどのように関わっていくかが細かく描写されています。


4章は米心理学者マイケル・コール氏による「書くことの起源」や「アルファベットの習得」から見た理解の話です。
IQは通常なのにアルファベットが理解できない子どもの事例を通じて理解の多様性について探ります。


5章は編者佐伯胖氏が、理解の研究史を紹介します。
「理解」の研究はピアジェの頃から始まったとされますが、その後知識・思考・行動といった様々な概念が下支えとしてあってようやく初めて理解の研究が出来るようになったと佐伯氏は指摘します。また「理解」しているかをどのように測るかも長年の課題として残っていると言っています。


このように、「理解」という私達が何気なく使っている言葉でも、
 ・真正面から迫ることは実は難しく
 ・様々な先人たちの努力があって初めてその意味が少しづつ見えてくる
 ・そして研究が進んだからといって「理解とは何か」の答えは分からず逆にますますよくわからなくなっていく、

ということがこの本を読むとじわじわと伝わってきます。
「理解」って奥深い...(月並み)


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山内研が専門とする領域の一つに教育工学という分野があります。
教育工学は学習活動に対する支援を行うことが重視されますが、それと同時に研究としてそれを成り立たせることが重要です。


研究を行うにあたって求められることの一つに「用語・概念をきちんと定義する」ということがあります。今回取り上げた「理解」もそうですが、他にも「学力」や(自身の研究の場合では「学び方」など)とは何か?を説明する必要があります。
そうした用語を説明しようとすればするほど、理解しようとすればするほど分かったような分からないような気分になっていくものだ...ということを感じる毎日です。


そうした研究の厳しさ、楽しさを感じるのに(勿論、理解とは何かを考えるのにとても良い本です)オススメな1冊です。


【根本紘志】

2016.09.03

【山内研っぽい1冊】『民主主義と教育(上)』

こんにちは!修士1年の花嶋 陽です。
夏休みは、結局海にもプールにも花火にも行けず、気付いたらあと半分しかないという事実に、世の中の侘び寂びを感じる今日この頃です。
やりたいことがありすぎて、逆にどれも選べず何もできないという摩訶不思議ワールドから脱兎のごとく脱出することができるよう、妥協せず蛇行せず、現状を打破していきたいと思います。

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというシリーズです。山内研っぽいということで同輩・先輩方が「学習環境」に関連した書籍を紹介している中、天邪鬼の私は少し変化球で臨みたいと思います。というのも「多様性」もまた山内研の特徴では?というテーゼを示さんがためです。決して合宿での学者レビューの参考資料を使い回ししているわけではありません。

ということで、私が紹介するのはJ.デューイ著作の『民主主義と教育(上)』という本です。
デューイは言わずと知れた19世紀後半〜20世紀前半のアメリカにおける哲学を支えた巨頭の一人です。彼は、あらゆる知識や観念は、疑わしい状況や不確かな状況の中での問題を解決する仮説として機能し、実際に「試みて」、その有効性を「検証する」ことによって確かな知識や観念を獲得するということを唱えました。そして、このような認識論に基づいて教育に関しても様々な理論を提唱しており、その内容は現在でも「経験学習」などの形で受け継がれています。

さて、今回この本をご紹介している理由は、「なぜ勉強しなければならないのか?」という誰もが答えに窮する問いについて考えるのに役立つと思ったからです。

というのも、「なぜ勉強しなければならないのか?」という問いについての思考はいくつかの前提が無意識のうちに滑り込んでいます。すなわち、教育とは何で、学校とは何で、学ぶとはどういうことかということです。しかし、それらの前提は所与ではなく、作り出されたものであり、時代によって異なります。それらの前提を問い直すことで、自分の思考を相対化し、それによって自分の思考をより客観的な根拠の上に構築することができるはずです。
そういった諸前提を問い直す上での視座を与えてくれるのがこの本です。前置きが長くなりましたが、この本の中で印象に残った文章を抜粋してご紹介としたいと思います。

「学校教育の目的は、成長を保障する諸能力を組織することによって教育の継続を保障することだ、ということである。生活そのものから学ぼうとする意欲、そして、すべての人がその生活の過程で学ぶことになるように生活の諸条件をととのえようとする意欲こそ、学校教育のもっとも立派な成果なのである。(p.89)」

「教育とは経験を絶え間なく再組織ないし改造することである、(中略)経験のどの段階でもその段階において実際に学びとられたものこそがその経験の価値を成すのだという意味で、(中略)幼児期も青年期も成人の生活もみな同様の教育適齢段階にあるのである。(p127)」

「ニュートンが彼の引力理論を思いついたとき、彼の考えの創造的側面はその資料の中には見出されなかった。それらの資料は、よく知られているものであって、それらの多くは平凡な事ー太陽、月、惑星、重さ、距離、質量、数の平方ーだったのである。これらのものは独創的な考えではなくて、それらは確証されている事実だったのである。彼の独創性は、これらのよく知られている知識を、未知の関係の中に導入することによって、利用したことにあったのである。(p252)」

観念も、観念として、ある人から他の人へと伝達することは決してできない、ということである。それが語られるとき、それは、語られた人にとっては、もう一つの与えられた事実なのであって、観念ではないのである。(中略)問題の情況と直接に取り組み、自分自身の解決法を捜し、見出すことによってのみ、彼は思考するのである。(p254)」

今日、教育環境はその「目的」においても「手段」においても大変革の時期にあります。
そのような中で我々は、目新しさ、「学習効果」、経済性といったものに目を奪われて、その「本質」を見失いがちです。
マクロにおいてもミクロにおいても、子供達の学習環境を整える上で、
「学びとは何であるか、そしてどうあるべきか。」
についての信念を持たねばならないのではないかと思っております。

【花嶋陽】

2016.08.16

【山内研っぽい1冊】『子どものUXデザイン ―遊びと学びのデジタルエクスペリエンス』

こんにちは!修士1年の江﨑 文武です。厳しい暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は夏期休業に入って間もなく、出張で3週間ほどルーマニア / ドナウ・デルタとインドネシア / バリに滞在しておりまして、2日前に帰国しました。

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというシリーズです。私が紹介するのは『子どものUXデザイン ―遊びと学びのデジタルエクスペリエンス』という本です。

これは、私が現在スタートアップで取り組んでいる幼児向け知育・教育アプリケーション開発、また、修士で研究したいと思っている「幼児向け教育・知育アプリケーション開発のデザイン」に直結する内容で、デジタル社会における子どもたちの学習環境のUX(ユーザーエクスペリエンス)について、ピアジェの認知発達理論をベースに、実践的指南となるような事例が紹介された、たいへん読みやすい本です。

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生まれた時から周りを「画面」に囲まれて育つデジタル・ネイティブ。
そんな子どもたちに、豊かなディスプレイ体験を届けるためにはどのようなデザインが必要なのか?
本書は、20世紀において最も影響力の大きい心理学者の一人であるジャン・ピアジェの認知発達理論をベースに、子ども向けのデジタル製品(アプリ、ウェブサイト、ゲームなど)の作り方のキモを具体的に解説する一冊。

4つの発達段階―感覚運動段階/前操作段階/具体的操作段階/形式的操作段階―をさらに2歳刻みに分けて論じ、すぐに成長して年齢の境界線をまたいでいく子ども特有のニーズについて、より効果的に対応できるようにした、具体的で実践的なアドバイス集。子ども向けデジタルプロダクトの製作に関わる開発者やデザイナーまたは教育関係者必読の内容。原書はRosenfeld Mediaの『Design for Kids: Digital Products for Playing and Learning』。

著者のデブラ・レヴィン・ゲルマンは、インタラクションを伴う子ども向けメディアのライターであり、リサーチャー、デザイナー、ストラテジスト。PBS Kids、Sprout、Scholastic、Crayola、NBC Universal、Comcastなどのクライアントとともに、子ども向けのサイトやアプリ、仮想世界を制作してきた。『USAトゥデイ』紙の「ベストベット賞」を受賞した『プラネットオレンジ』―小学生およびその教師と親をターゲットにした、お金に関する基礎知識を教えるサイト―では、リサーチとデザインの中心的役割を担った。 デザイン事務所や社内デザイン部門に所属して腕を磨き、その後、EPAM社で、デジタルストラテジー&エクスペリエンスデザインのチームを立ち上げに参画。現在は、このチームのユーザーエクスペリエンス部門のディレクターを務める。また、WebVision や、IA Summit、IxDA、US Lisbon、UXPAなどのカンファレンスで頻繁に講演をおこない、ワークショップを開催するほか、『A List Apart』や『UXマガジン』誌への寄稿も行っている。

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最近では2, 3歳児でも器用にスマートフォン/タブレット端末を扱えるようになっていることに加え、小学生にもなれば、動画編集、画像編集、音楽制作などもそれらの端末上でこなせる場合が多いようです。私の知人のお子さん(3歳)は、タブレット端末の操作法をいつの間にか親から見よう見まねで学び、最近では、自分の好きな海外のアニメーションをアルファベットをタイプしながら動画共有サイトで器用に検索、視聴できるようになっていたと言います。私たちが思っている以上に、現代の子どもたちは早い段階でデジタル環境に順応し、また、それらから多くを学んでいるのかもしれません。本書は、そんな新世代の「学習環境」を考える上で欠かせない一冊なのではと思っています。

それでは次回もお楽しみに。

【江﨑文武】

2016.08.02

【山内研っぽい1冊】『教室にマイコンをもちこむ前に』

 皆さん,こんにちは.修士2年の原田です.
 今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】です.鞄に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するというシリーズです.山内研究室のメンバーは山内研究室に関心を持ったきっかけも学部時代の専攻もバラバラです.そんな山内研究室に山内研っぽさを感じるとするならば,杉山くんも書いてくれたように共通して「学びを支える環境(空間・活動・共同体・人工物)をどのようにデザインすれば学習を有効に支援できるのか?」に関心があるところだと思います.また,山内研究室に関心を持ってくれる人を思い出しても,学びを支える環境に関心がある人が多かったという印象を受けます.
 本年度の入試は7月14日に受付を終了しました.そのため,最近は研究室に訪問してくれる人も減りましたが,4月や5月は多くの受験生が研究室に足を運んでくれました.そのなかで私は情報工学部出身ということもあり人工物の開発に興味があるため,同じように人工物をどのようにデザインするかに関心がある方と意見を交わす機会が多くありました.「ゲームを利用した教育方法に興味がある」という人や「スマートフォンを利用した教育に感心がある」という人など人工物と言っても関心は様々です.一方で,Twitterを眺めたりWebを検索してみると,新しい教材やテクノロジーが次から次へと多く開発されていることがわかります.そんな情報の波に埋もれないように,「どのような教育的議論が学びを支える人工物に関してなされてきたのか?」について少し立ち止まって考えてみたいと思います.
 そこで4回目となる今回は「人工物」ここでは特にコンピューターにまつわる議論が書かれた「教室にマイコンをもちこむ前に」という本を紹介したいと思います.編著者は建設的相互作用でおなじみの三宅なほみ先生です.出版されたのが1985年ですので私の生まれる前に出版された本になります.ではいったい1985年はどのような時代だったのでしょうか?
 いろいろな文献を見てみると,コンピューターを教育に利用しようとする試みが国内国外を問わず広がりつつあった1980年代だったと感じます.例えばSeymour Papertによる「Mindstorms」が出版されたのは1980年になります(Papert 1980).Mindstormsではプログラミング言語LOGOを利用して子供たちが絵を書きながら数学について理解を深めていく様子が描かれています(詳しくは過去の記事).また日本でもこの時期にコンピュータ教育がはじまり,コンピューターをはじめとする教育機器が学校に導入されることになりました(佐伯 1992).つまり,プログラミング教育をはじめとするコンピューターを利用した新しい教育が夢見られ模索され,そして実践されてきた時代だったのでしょうか.
 一方で,1985年前後のプログラミング教育研究を眺めてみると,プログラミング教育の効果について調査する実証的な研究も行なわれていたことがわかります.例えばLOGOとCAIを比較しながら効果を検証したClements and Gullo 1984,プログラミング教育で向上すると考えられていたプランニングの能力について検証したPea and Kurland 1984,5歳児の学習過程を丁寧に追った子安 1987の研究があります.これらの研究ではプログラミングの効果が認められた結果が報告された一方で,思い描いていたような効果が出ないという結果も報告されました.
 そんなコンピューターを利用した教育に多くの注目が集まっている1985年にこの本が出版されました.少しだけこの本の内容に触れると「子供たちの目標(やりたいこと)と教師の目的(やらせたいこと)をどのように関連付けるか?」についての議論が2章3章でなされています.デニスニューマン(2章)および波多野(3章)は両者とも「学び手の主体性」を大切にしながらも,教師の役割の重要性についても主張し,「構成主義が伝達主義にならないよう教授者が歯止めをどこに設定するか?」について議論を進めています.一方で,6章では戸塚によって,小学校での「ヒマワリの成長をLOGOでシミュレーションして追いかけようとした試み」や「LOGOで図形を描くことで数学に対する理解を深めていった実践」など実践的な報告がなされています.

「私にとって、教育におけるコンピュータの役割を考えるということは、コンピュータを使っていかに効率よく教育するかを考えることではありません。それはコンピュータというシンボル操作システムを使うと、どのような新しい「教え方」「学び方」ができるのかを考えることでなければならないと思います。そして、そのような新しい「教え方」「学び方」の可能性を探ることそのものが、私たち自身の「教えるとは何か」「学ぶとは何か」という問いに対する答えを深めていくようなものでなければならない、だから、私達はコンピュータを問題にする必要があると思っています。」(三宅 1985 p.1)

 この本の第1章で「なぜコンピューターを問題にするか」について三宅先生が書かれた内容です.
 それから30年が過ぎて2016年になりました.上でも述べたように確かに当時より安価で高性能なコンピューターを手に入れることができるようになりました.また様々な教育用ツールも開発されています.コンピューターをつかうといったいどのような新しい学びが支援できるのか?コンピューターを導入するときにはいったいどのようなことを考えないといけないのか?今後,私自身がコンピューターの導入が有用だと考えるようになるにせよコンピューターの教育利用は早過ぎる有用ではないと考えるようになるにせよ,もしこのような教育的議論や授業実践に目を向けないならば,「学ぶとは何か」そして「学びを支援する環境はどのようなものか」に対して理解を深めることはできないのだと感じました.

「もしかして、あなた山内研ですか...?実はコンピューターと教育の関係について興味があるんです」と話しかけられたら,この本を元に対話できればよいなと思います.

・三宅なほみ (1985) 教室にマイコンをもちこむ前に 新曜社
・Seymour Papert (1980) "Mindstorms" Basic Books
・佐伯 胖 (1992) コンピュータで学校は変わるか 教育社会学研究
・Clements, D. H., & Gullo, D. F. (1984)Effects of computer programming on young children's cognition. Journal of Educaitonal Psychologoy
・Pea, R. D., & Kurland, D. M. (1984). Logo Programming and the Development of Planning Skills. Technical Report No. 16.
・子安増生 (1987) 幼児にもわかるコンピュータ教育 ーLOGOプログラミングの学習 福村出版

原田悠我

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