2012.01.29

【読書感想文】学び、生きること

みなさま、ごきげんよう。
修士1年の早川克美です。今週の記事を担当させていただきます。


「旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、人生そのものの姿である。」

これは哲学者・三木清の言葉です。この言葉の意味を最近あらためて考えています。すべての出会いや分岐点は、決して受け身ではなく、自らが選び定めてきたことなのだと感じます。自己効力感はもとより、後悔や反省も弱い自分の選択に他ならず、どんな道をどのような足跡を残してきたかは、まさに自己自身であります。そして、私は、どう生きていくべきか、について幼い時から何故か(笑)ずっと悩んでいます。

ここに、これまでの人生で何度となく読み返した本があります。最初に三木清を引いておいて、節操がないと思いますが、ずっと憧れている人間の生き方があります。あくまでも作品の中のその人物の生き方です。

司馬遼太郎著「花神」の主人公、大村益次郎、その人です。

大村益次郎は、日本近代兵制の創始者であり、高杉晋作の没後に、奇兵隊を倒幕に向け再編成し、大政奉還後に発足した官軍における事実上の総参謀を務め、戊辰戦争の勝利に貢献し明治維新確立の功労者といわれた人です。
周防国吉敷郡(現在の山口県山口市)の百姓に生まれた村田蔵六(後年大村益次郎と改名)は、新しい蘭学・洋学を学びたい一心で郷里を発ち、大坂適塾に緒方洪庵らを師として研鑽を積み、抜群の成績を上げ塾頭にもなりました。医師として故郷防長に戻った蔵六でしたが、ずば抜けて洋書を解読し、著述もできた彼は、様々な出会いによって、四国宇和島藩の軍艦建造に招かれ、それを機に洋学普及のため、江戸で私塾「鳩居堂」を開き、幕府の研究教育機関(蕃書調所のち開成所)でも出講するようになります。ただ、人と交わるのが不向きな蔵六は、出世をしても自らを売り込むことはせず、その45年の一生を愚直なまでに「技術者」でありつづけました。彼の一生はまさに技術者としての旅そのものだったと感じます。

自らの出来ること、なすべきことのみを見据え、芯を持って生き抜くこと、初めてこの本を読んだ高校生の時、その貫ききった生き方に美しさを見、震えたことを今でも覚えています。少し先の未来を予見しながら、ひたむきに学び続けた益次郎の生き様を、潔く美しいと感じたのです。と、同時に、多感な年頃の自分には、どうして男に生まれなかったのだろう、女でどこまで貫ききることができるのだろうか?と不透明きわまりない将来に絶望したりしたのは懐かしい感傷です。もちろん、今は女性として生まれたことに後悔はありません。(男女雇用機会均等法施行初年度の年代なので、現在20代の方達には想像もしないことかもしれません。苦笑)
話がそれましたが、とにかく、美しい生き方に憧れ、何か迷うたびに大村益次郎を思い返すという奇妙な癖がついてしまったほどです。なのに、益次郎の年齢を超えた自分は、まだまだ迷い多き道にいます。優秀でもない平凡な自分にとって、大きな功績を残すことは大それた望みであり、もちろんそこに目標を置いてはいません。ただ、自分の芯を持ち、貫いて生ききることができれば、そうありたいと、日々を重ねています。

もうひとつ、この本で私がワクワクしたのは、大阪「適塾」のさわりでした。
適塾とは、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾です。後に現在の大阪大学へと発展していく適塾、元来は医学、医療を教育する塾でしたが、とても学際的な学びの環境にあったようです。青雲の志熱き若者である塾生たちにとってはオランダを通じてもたらされる最新の知識、技術には一々驚くものがあったのでしょう。関心の赴くままに、医学によらず各種の本を貪欲に読んだようで、判らぬ言葉の意味を探して、適塾に一冊しかなかったヅーフ辞書を奪いあうように利用したため、辞書をおいた部屋はヅーフ部屋と呼ばれ、明かりが消える間がなかったそうです。塾生たちの勉強ぶりはすさまじかったようで、福沢諭吉にして、自伝の中で「凡そ勉強ということについてはこのうえにしようもないほどに勉強した」と述懐しているほどです。こうした自由闊達な塾風が、幕末から明治初期にあって日本の近代化の各分野で活躍する多様な塾生を数多く輩出し、その塾生には、福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内などがいます。
東北から九州まであらゆる地域の若者達がめざし、学んだ適塾。どんな対話がなされていたんだろう、それぞれの塾生はどのように成長していったのだろう、どんなシステムだったんだろう。あぁ、行ってみたいなぁ、観察したいなぁと夢想します。

私が大学院に入り、最初に感じたことは「あ。適塾だ」。そう、今、自分がいる環境はまさに現代の適塾といえるべきものでした。多様な興味・関心を持った学問の徒がそして師がそこにはありました。とてもうれしかった。

もうすぐ私の大学院生としての最初の1年が終わろうとしています。想像以上に厳しく辛かった。でも、それ以上に楽しく興奮することが数え切れないほどにありました。学びをあきらめないで精進しようと思います。
思考は柔軟に。これは益次郎が技術を積み上げていく過程で、とてつもなく柔軟に様々なことを吸収していたことを、凝り固まった自分の思考への戒めとしたいと考えます。
志は強く貫けますように。逆境にびくりともせずに歩み続けた益次郎の生き方を、私なりに追っていきたいとのぞんでいます。

「人はそのひとそれぞれの旅をする。人生そのものが実に旅なのである。」
最後にふたたび三木清の言葉を。

学び、生きる私の旅はどうやら相当鈍行のようです。そして、かなり美しくない。納得するのにいちいち躓きますが、憧れを胸に、一歩一歩進んでまいりたいと思っています。


読書感想文?ではないような内容になってしまいましたが、1年を振り返る節目でもあり、自分を奮い立たせるために書かせていただきました。

寒い日がまだまだ続きますが、みなさまにはくれぐれもご自愛くださいますよう。
拙文におつきあいいただき、ありがとうございました。

参考文献
"人生論ノート"三木清、新潮文庫
"花神"司馬遼太郎、新潮文庫

2012.01.25

【エッセイ】電子「教科書」という呪縛

AppleからiBooks2とiBooks Authorが発表され、教育の情報化が本格的に進展するのではないかという期待もでてきていますが、アメリカの専門家の中には異論もあるようです。

教育技術の専門家は(教科書というコンセプトが古い、価格的に課題がある、ソーシャルでないなどの理由から)AppleのiBooksに懐疑的

確かにiBooks Authorはよくできたツールですし、iBooksでマルチメディアを埋め込んだ教科書が安価に流通すれば市場は活性化すると思います。これによりiPadの中等教育への普及は進むでしょうし、Apple製品を人数分そろえられる財政的に豊かな学校には魅力的な発表でしょう。
その点をふまえた上で、さきほど紹介した記事の最初のパラグラフにある「これは以前流行したCD-ROMのインタラクティブマルチメディア教材と何が違うのか」ということについては考えておく余地があります。
今から20年ほど前、パーソナルコンピュータが本格的に映像や音声を扱えるようになったときに、CD-ROMにおさめられたマルチメディア教材が作られました。これらの教材には一定の教育的効果があることは研究により確認されていますが、「教科書の再発明」というほどのインパクトが残せなかったことも事実です。
一般ユーザーがタイトルを制作できるようになったり、流通システムが確立することには意義がありますが、それだけでは力不足なように思います。
記事にもありますが、我々はそろそろ近代教育システムの中核を担った「教科書」というメタファーについて再検討してもよいのではないでしょうか。分散したリソースを有機的につなぎ、ソーシャルな対話の中で学べるようになった現代の情報環境の中で、本当に現在の電子書籍的な形が教材として最も優れた姿なのかどうか、考えるべき時期に来ているのかもしれません。

山内 祐平


2012.01.23

【読書感想文】じぶん・この不思議な存在


みなさまこんにちは。修士1年の山田小百合です。
読書感想文シリーズ、今週は遅ればせながら私が担当いたします!

ところで、「人生を変えるような出会い」というものが、誰しもあると思うのですが、
人生に影響を与えるような、いいなと思う本、みなさんはどこで出会いますか?

本屋さんでたまたま目に入った、人に紹介された、誰かのレビューを読んで気になった...などなど様々あると思います。

今日ご紹介したい本は、「じぶん・この不思議な存在」です。
著者の鷲田清一さんは、昨年の夏まで大阪大学の総長を務め、任期満了に伴い、退任後、現在は大谷大学文学部で教鞭を取られているそうです。2010年の情報学環・学際情報学府10周年記念シンポジウムにも鷲田さんが来場されていました。

さて、本の紹介の前に「私とこの本との出会い」について少しお話させてください。
私とこの本との出会いは本屋さんでも、誰かの紹介でもなく、高校の現代文の授業で出会いました。現代文の教科書に出てきたこの文章に出会ったのが、高校1年生、当時16歳です。そういう意味でも、この本の内容について少なからず知っている人は多いのではと思います。現代文の授業では一部しか取り上げられないので、本1冊全部読みたいと思った私は、大学入学後にこの本を購入しました。今でも時々読み返す本の1つです。

当時の私は本を読むことが好きではありませんでした。本が好きでないとなると、読書感想文も上手に書けないので、読書感想文なんてもってのほか。初めてこの本の一部が現代文の教科書に出てきた当時の私も、もちろんちんぷんかんぷんで、テストで良い点をとるために授業を受けていました。

さらに中学時代に遡った話をすると、当時の私は人間関係が全然うまくいきませんでした。人間関係の悩みも多く、学校も休みがちでしたが、同時に、なぜかふと思ったのです。

「この人たちは、生まれた時から『こいつ超うぜー』とかいう感情を持ちあわせていたわけじゃない。例えば小さいころこの人と出会っていたら自然とかかわりあっていただろうなあ。月日が経ち、自分の周りの人や環境から影響を受けて、好き嫌いを自分の中につくっていくのだろうなあ。それは私も同じだ。」

家庭環境や、関わってきた人、触れてきた情報などなど、様々なんだなと思うと、「ヒトがどのようにできあがるのか」ということを考えることは、ものすごく重要なことなんじゃないか、ということを大まじめに考えていたのが中2の山田小百合(9年前か...)でした。このときのことが今の自分に少なからず影響を与えていることは間違いないです。

こうして高校生になった私は、この本に授業で出会うのですが、ちんぷんかんぷんのまま時は経ち...また人間関係に悩むできごとがありました。
「わたし」はいつも「他の人」と違っていて、違っているせいで、嫌われてしまう。

そのとき、当時生徒会がきっかけでお世話になっていた国語のS先生に相談することにしました。すると「去年お前これ読んだやろうが」と、彼が取り出したのが現代文の教科書であり、その中にある「じぶん・この不思議な存在」のページを開いてみせたのでした。

"どうして、お前が、他人と違うっちゅーことを、咎められるか。それは、アタリマエのことを言うけど、お前が、他人と違うけえや。"

私たちは「自分」という存在を分かった気になっていますが、それは果たしてそうなのでしょうか。私はこの本を読むときに、不確かで脆い「自分」に出会います。

「自分」を想像するとき、誰しも具体的な自分というイメージを、まずは自分の身体イメージに頼っているはずです。そこでこんな文章がでてきます。

−−−
たとえば、身体をもたない〈わたし〉がありえないことはあまりに明白であるのに、それでは〈わたし〉と身体とはどのような関係にあるのかと問うてみると、じぶんがほとんどなんの確かな答えももっていないことに気付かされる。
−−−

「自分」の身体がどんどん交換されていくことを想像すると、身体は「自分」にとってかけがえのない存在であるはずなのに、身体と「自分」の関係が曖昧になっていくことに気付かされます。

不思議なことに、私たちは日常の中で「自分」という存在を当たり前のように捉えていますが、実際に私たちは直接、自分の顔も、背中も直視することができません。鏡やカメラなどを介してみることはあるかもしれませんが、結局直視はできない。むしろ「他人」のほうが、私の背中や顔を直視でき、「自分」の見えないところをよく見ることができる。
不思議ですよね、自分はいつも隣り合わせのようで、一番「自分」のことを知っているのは自分なのに、とても不思議な存在に見えてきます。

さらに長いのですが、この流れるような文章を切り離すのが惜しく感じるので、一気に一部引用します。

−−−
 わたしたちは、目の前にあるものを、それはなにであるかと解釈し、区分けしながら生きている。たとえば現実と非現実、じぶんとじぶんでないもの、生きているものと死んだもの、よいこととわるいこと、おとなと子ども、男性と女性......。こうした区分けのしかたを他のひとたちと共有しているとき、わたしたちはじぶんを「ふつう」(ノーマル、ナチュラル)の人間だと感じる。そして、わたしたちが共有している意味の分割線を混乱させたり、不明にしたり、無視したりする存在に出会ったとき、(中略)彼らを、別の世界に生きているひとというより、わたしたちの同じこの世界にいながら「ふつう」でないひととみなしてしまう。

 ではなぜ、わたしたちは意味の境界にこのようにヒステリックに固執するのだろう。それは、わたしたちが「〜である/〜でない」というしかたでしかじぶんを感じ、理解することができないからではないだろうか。そしてそういう意味の分割のなかにうまくじぶんを挿入できないとき、いったいじぶんはだれなのかという、その存在の輪郭が失われてしまうからではないだろうか。つまり、それほどまでに〈わたし〉はもろく、不可解な存在であるからではないだろうか。
−−−

誰かと区別をすると同時に、自分の存在を感じることになる。きっと「自分とはなんぞや」と考えると、自然とそこに「他人」を感じているということに気付かされます。さらに引用を続けます。

−−−
 わたしがだれであるかということは、わたしがだれでないかということ、つまりだれをじぶんとは異なるもの(他者)とみなしているかということと、背中あわせになっていることがわかる。ところが、わたしがそれによって他者との差異を確認するその意味の軸線がわたしたちによって共有されているところでは、この軸線がその形成の歴史を忘却して、「自然」的なものとみなされ(ここから「自然」が規範としての意味をもちはじめる)、それを共有しないものは、わたしたちではないもの=「ふつう」でないものとして否認される。「ふつう」ということは世界の解釈の一体系を共有しているということにすぎないにもかかわらず、である。わたしたちがじぶんの存在にかたちをあたえていくこのプロセスは、だから同時に、きわめて政治的なプロセスでもある。それは、つねに解釈の基準を提示し、それを共有できないものは排除し、それをはずれるものには欠陥とか劣性といった否定的なまなざしのもとでみずからを見ることを強いる。

 わたしはだれかという問いは、わたしはだれを〈非−わたし〉として差異化(=差別)することによってわたしでありえているのか、という問いと一体をなしている。わたしもあなたも同じ「人間」であるという言いかたは、〈わたし〉が一定の差別(逆差別も含めて)のうえにはじめてなりたつ存在にすぎないことをかえって覆い隠してしまうおそれがある。
−−−

そしてその区別は、集団の中でさらに形成されてゆきます。
この文章こそ、教科書の中にでてきていた文章でした。ここで高校時代の私に戻ります。

"「自分」というものは、こうして様々な線引きの中で創り上げられている。人間という不思議な存在の脆さ、弱さを知っているだけでも、お前はもう少し生きやすくならんか。"

中学くらいからふわふわと考えていることが、そして今の現状が、こんなにシンプルに表現されているなんて!なんだか特別なことを誰よりも先に知れたような気がして、とても嬉しくなったのです。
そして、そんな自分と真剣に向き合ってくれたS先生の優しさに対して、とてもありがたいと思ったと同時に、放課後のもう下校時間をすぎた職員室で、大泣きをしたのが、当時の私です。(笑)

そしてこの日を境に、私は本を読むようになりました。ちなみにその先生とは学部の時の教育実習で数年ぶりに再会し、お酒を飲みながら語りました。
人もそうだし、本もそうだし、出会いというものは、とても不思議な出来事ですね。

そして、この本を読むと、思い出すことがもう1つあります。

昨年、FLEDGEのディレクターを務めていた時、「箱男ワークショップ」を実施したグループがいました。安部公房の小説「箱男」のように、ダンボールを被って街を歩き、そのとき感じたことを文章にして披露するというもの。何人もの人が本郷三丁目界隈をダンボールを纏い街を歩き、おみせに入ったり、うろうろしている姿は滑稽なものでした。当時Twitterでも「箱かぶった人がいっぱいいる」というようなツイートが目立ち、写メを撮られ、写メもツイートされていたくらいです。

そのワークショップの振り返りの日、参加者の感想の中で「最初は箱を被って歩くことで人の目も気になるし緊張するのだけど、そのうち箱をかぶっていることが気にならなくなる」といった感想があったような記憶があります。
箱をかぶったままコンビニで買い物をするのは目立つし恥ずかしいはず。しかしその状態が自然と「自分」に取り込まれていく。
「自分」は一体、どこへ行ってしまうのでしょうか。

研究活動は、色々な人、サンプルから、共通することを見つけ、とりあげ、構造化したりパターンを見出したりします。これはすごく大切なことで、社会的に意義のあることだと思います。だから私は研究活動をしています。
同時に私たちは「違う存在」であることを、忘れてはいけないなと感じさせてくれます。一人ひとりを見るということについて考えさせられるのです。

就職活動でも「自己分析」なんて言いますが、自分の中に問い続けたところで「自分」というものはわからない。私たちは「他人」を経由して「自分」を認識する。そして「他人」と比較しても、ある側面の自分は認識できますが、結局それはある種一部であり、「自分」というものを結論づけることができない、とても不確かで脆い存在なのだなと気付かされるのです。

何かに困ったとき、悩んだ時、この本を読んで「自分」というものの輪郭を曖昧にさせてゆく。この瞬間がなんだか気持ちよかったりするのです。

そして、自分という不思議な存在についてわからなくなる。
「私」は、一体、何者なのでしょうか。

山田小百合

2012.01.16

【読書感想文】森は海の恋人

みなさま、こんにちは。
今週は、修士1年の末 橘花が担当をさせていただきます。

前回の呉さんの教養の高さが伺える記事の更新後に私が書くのはなんだか恐縮ですが、
早速ご紹介していきたいと思います。

私が紹介するのは、『森は海の恋人』です。


筆者の畠山重篤さんは、宮城県気仙沼市唐桑で牡蠣養殖業を営む傍ら、豊かな海を取り戻すために、平成元年より漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を続けています。

この運動は、気仙沼市在住の歌人、熊谷龍子の句

「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」

より名付けられた「森は海の恋人」というキャッチフレーズと共に全国にその運動の輪が広がり、漁民による森づくり、森と川と海を一体としてとらえる環境認識、子供たちへの環境教育のシンボル的な運動として位置づけられています。


本書では、畠山さんの目から見た気仙沼市唐桑の漁民文化が描かれており、その中で海と森の密接な関係について言及されています。

海水と河川水の交わる汽水域での生物生産にとって重要な養分は、上流の森の腐葉土を通過した河川水、地下水が運んでくることに漁民たちが気づきました。気仙沼湾に注ぐ大川の上流域の岩手県室根村(現一関市室根町)の室根山に地元の人々の理解のもと、広葉樹の森を作り始めたのでした。これが運動の発端でした。


こういった取り組みの中にある背景として、本書では、ふるさとを想う気持ちや、漁民として海と森の中に生きる伝統や文化を表現しています。本書には短いストーリーがいくつも並んでいます。それは筆者の少年時代の体験であったり、漁民としての生活の知恵であったり、共に生きる魚や鳥などの生き物の話であったりします。


このように伝統や文化を書き残していくことは、地域の歴史にとって、また地域の活性化などにも通じる非常に価値のあることなのではないかと思います。

今日の技術の発展は目覚ましいものであり、数十年で生活様式も漁業のスタイルも大きく変わりました。しかし、こうして気仙沼の歴史が畠山さんの手によって描かれていくことで、昔ながらの知恵をつなぎ残していくことは、地域民にとっての文化やアイデンティティになるのかもしれません。


気仙沼での漁業といった地域に根付いた伝統や歴史、昔ながらの知恵、これらは歴史の教科書には載っていません。授業ではなかなか学ぶことができないものです。

しかし私は、それらを継承していくことに意義があると信じています。私は現在、オーラル・ヒストリーに関する研究を行っておりますが、実際に社会学などでも、従来の政治を中心とした「いわゆる歴史」だけではなく、マイノリティや女性、大衆、地域といったこれまで歴史として目を向けられなかった人々の声を聞き取りそれを残していく「オーラル・ヒストリー」が広がっています。オーラル・ヒストリーは、インタビューを通した口述記録を歴史に残していくものですが、本書のようなエッセイのようなものや日記なども重要な資料と言えます。


さて、『森は海の恋人』の物語の舞台は、気仙沼地方。

先の東日本大震災で津波被害を受けた場所です。私も先日、現地の様子の調査に同行したのですが、誰もいない何もない、全てが跡形もなくなっている光景は、なんとも言いがたいものでした。

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全てが哀しみに覆われた中、漁業にも当然のごとく影響が及びました。

例えば、牡蠣養殖場はほとんどが流されてしまいました。津波で生き残った種牡蠣はせいぜい数%で、収穫安定までに最低3年はかかるそうです。牡蠣産業は壊滅的な危機状況を迎えたのでした。

そこでいち早く復興支援に名乗り出たのがフランスでした。
ご存知フランス料理にもよく牡蠣が出てくるように、牡蠣はフランスの国民的な料理の一つです。それだけではなく、フランスが気仙沼を応援するには深い理由があったのです。

本書にもあるように、約 50 年前、フランスのブルターニュ地方の牡蠣が病気による壊滅的被害に遭った際に、宮城県産の種牡蠣がフランスに渡り、ブルターニュのみならずフランスの牡蠣業界を救ったという背景があります。現在フランスで作られているほとんどが、宮城県産の牡蠣と同じ種類なのだとか。またそれ以来今日に至るまでブルターニュと宮城県の友好的な関係が続いているそうです。

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今回のフランスの活動も「日本へのお返し」とうたって支援活動が行われています。歴史は、人や地域、国を巻き込んで連鎖していきます。みなさんの住む街や地域にも、そこに根ざした独自の伝統や文化そして歴史は静かに眠っているのではないでしょうか。是非一度向き合ってみてください。

今回の深い哀しみも語り継がれていくのであろうし、語り継いでいくべきだと思います。歴史が積み重なっていき、それを教訓として活かすことはとても大切なことです。

震災地の復興を願っています。


<参考>
畠山重篤『森は海の恋人』文春文庫, 2006年

NPO法人 森は海の恋人

2012.01.05

【読書感想文】「ドリアン・グレイの肖像」を読んで

明けましておめでとうございます。
修士1年の呉重恩です。

日頃の読書の感想文‐-今週はわたしを担当させていただきます。
最近、日頃に研究分野に関わる本を読んでいませんので、少し脱線したものを書きます。


読後感というのはかなり主観性の強いものです。読み手は自分自身の性格や価値観に合っているようなところに深く共感するからです。恐ろしいのは、多くの人はつい調子に乗ってその共感点を何倍も何倍も拡大して、自分の性格をシェピングしていくことです。もし共感が出来たところは、世の中の道徳基準や社会倫理によって「良い」ならば、それはいくら影響を受けても人格が良い方向性へ形付けられていくのでしょう。しかしそうではなければ、「毒害」される可能性もあります。

それはわたし自身の場合を振り返ってみればよく分かったことです。

中学生の頃、約2年間の間にずっとダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』に関する評論文を書いていました。直感でエミリー・ブロンテの『嵐が丘』に類似した作品だったと思い、やはりイギリス北部の湿度の高い憂鬱な雰囲気がかなり気に入ったから、つい同じタイプの本を読んでしまいます。そしてこのようなややゴシック風の哀愁が丁度自分の性格の暗い一面――ヒステリーに合致したので、共感を思いました。さらにその共感を実際生活の中で倍に拡大し、少女の哀愁をアピールしようと思って、わざと夜中の大雨の中で傘を差さずに散歩するような気持ち悪い行動をしました。

高校生の頃、戦争史にはまって、『三国志』『東周列国伝』『戦国策』『五代十国演義』ばかり読んでいて、何も「良い」点を吸収せず、自分の性格に潜んだ反抗性の言い訳になれそうな内容ばかりに共感しました。開国者は農民であれば絶対滅国の結末に決まっているという結論を勝手につけて、所詮農民の乱は一時的に政府を倒して政権を奪ったとしても愚かで乱暴な統治しかできないから農民階層の政治運動を徹底的に否定した感想文を書きました。そして同文でMao(do not ask me who he is!!)を同じく愚かな農民と定義したから、学校側に「思想不端正」の理由で入党申請を拒否されました。(このことは絶対後悔しません。「もし海外に出たことのある人であれば事情が変わる」と揺れたことがありますが、結局ポル・ポトみたいなフランスから帰国した優秀な留学生でも、赤色クメールのような暴行を犯したわけですから、とりあえず当時の結論を堅持します。もちろん、農民自体を愚かなものと定義したいわけではないです――自分の先祖の中にも必ず農民がいますから、忤逆の罪は被りたくないです。あくまでも政権の正当性と妥当性に関わる論述です。)

大学生の頃、格好を付けるため、プルーストの『失われた時を求めて』全巻をあきらめたい気持ちを抑えしつつ読み終わりました。結局「無意識流派」の基本手法など何も捉えられず、文中のフランス上流社会の贅沢なライフスタイルと作家の神経質ばかりに注目していました。無論また共感ができたからです。そして、プルーストを読んでいる1年間の生活費はものすごく莫大だったから両親に怒られました。

この時期読むのが多いのはオスカー・ワイルドの作品です。今回は彼の『ドリアン・グレイの肖像』の読後感を書くことにします。
本書はの粗筋:
[画家のバジルのモデルになったドリアン・グレイは大変な美青年である。ドリアンは、警句家ヘンリー卿のさまざまな逆説的見識に共鳴しながら、悪徳を重ねる。ある天才女優と恋に落ちるが、彼女が本当の恋を知ったがゆえに舞台で恋する女を演じられなくなったため、ドリアンは彼女に興味を持てなくなる。そのことを本人に直言してしまうと、彼女は自殺らしき死に至る。
ドリアンは自分の美の衰えを恐れる。ところが、彼は老けずに美しいままである。そのかわり、彼が年齢や悪徳を重ねると、バジルの描いたドリアンの肖像画が、その分だけ醜くなっていく。]
以上、wikipediaから直接コピーしてきたものです。

主要人物は画家のバジルと美少年のドリアンとヘンリー卿三人です。感想文を書くといえば、この三人と三人の間の関係性を読み解くのは必然的になります。

本書に関する学術論文と軽い風のエッセイがいっぱいありますが、ほぼフロイトの心的装置理論におけるエス、自我、超自我をそれぞれ三人の人物と対照しながらその関係性を解明しているものが多いです。

とてもそのような読み方には合流できません。『ドリアン・グレイの肖像』の出版は、心的装置理論より約30年先のことですから、まず時点的には適格ではないです。そしてフロイト理論で解析した結果はワイルド自身がこの作品に対する解釈と矛盾しているのです。現代の心理学理論を使って作者の本意と作品の寓意を読み解くのはある意味的に筋が通っていて格好良いかもしれませんが、よっぽと厳密な論証ができなければ牽強付会の恐れがありますので、作者本人の解釈を尊重した上に作品を作者の実生活に還元させることを忘れないほうがいいと思います。

どんな読み解き方でも、本書がオスカー・ワイルド本人を描写する自伝みたいなものだ、という観点は変わりません。こうすると、この本の感想は、ワイルドその人に対する理解と切り替えればいいと思います。

一言でワイルドがどんな人だかといいますと、同時代の者がいない人です。

彼が生きたのはヴイクトリア時代です。当然人間は入力された様々なメッセージや情報はその時代までのものに限っているのでしょう。しかしワイルドが表出しいてすべては、生きていた社会から入力されたものによって出力すべきだったものを超過しているものだと理解していいです。ワイルドの服装から、言動、審美、価値観までのすべてを見ればまるで未来から来た人間のようです。そのようなワイルドは、むしろ未来人がタイムマシンに乗って過去のヴイクトリア時代に飛び入った人間で、何事においても人より一歩早く理解し、全ての現象を鋭い目で素早く洞察できるわけです。そして未来の事象を当時の人々に分かってもらう渇望をヴイクトリア時代に一発的に投げ出してしまったのです。このようなワイルドは、当時の社会において、派手な人間や変人だと見られ、心を知ってくれる者のいない孤独な人間でした。もちろん、死後はかなりの支持者やファンが出たそうです。だいたい「派手+変人+孤独=天才」という式がその人が死んだ途端に自動的に効用されるみたいで、ワイルドも例外になりませんでした。

ワイルド自身の解釈だと、バジルは真実のワイルドで、ヘンリー卿は世間の人達の目の中のワイルドで、ドリアンはワイルドがなりなくてなれなかった理想中の自身だそうです。

確かにこの作品はオスカー・ワイルドの人格と彼が抱えていた夢、価値観を表出しただけではなく、彼の心に隠された部分までもプロットの発展によって段々と目の前に展開され、そして彼の実生活に織り込みながらその美しい且つ滑稽な一生はモンタージュの形で映されていました。

このモンタージュの続きのなかで、以下の幾つかの断片を拾い、それを手がかりとして『ドリアングレイの肖像』ないしオスカー・ワイルドその人の中味を読み解きます。

[ナルシシズム][芸術のための芸術][パラドックス][自傷行為][悲劇]

*ドリアン・グレイー
ドリアングレイはまるでギリシア神話の中の美少年のナルキッソスのように、自分の美貌に惚れました。そして、彼はその美貌と青春が続けるため、すべての罪と不合理なことを画像に負担させ、所謂美を求めるために自分の霊魂と良心を捨てたことです。このようなエピソードは当時において斬新な文学手法ではなく、ゲーテの『ファウスト』に「霊魂を悪魔に売る」ような話が既に出ました。面白いことはゲーテの戯曲を含めたこの類のストーリーがみな悲劇でした。当時フランスでボードレールらが提唱したピュアな芸術、芸術のための芸術という思潮に合流し、美のためなら社会倫理に逆らうことをしてもいい、美のためなら恋人を失ってもいい、美のためなら生活ないし命を捨ててもいい、という極端な形象――ドリアン・グレイをワイルドが作り出しました。しかし、芸術が生活から来るよりも生活が芸術から来る、という「芸術最高」の唯美主義テーゼは今のような個性化の時代においてもハッピーエンドになりにくいのに、況して工業革命の背景で功利主義を唱えていたビクトリア時代ならさらに悲劇から逃げられないでしょう。ドリアンは美を続ける願いが叶えたのですが、結局バジルの説教と世間の倫理から完全に解放されられず、美の宮殿に飛び向かおう、飛び向かおうと思いながら、自分が犯した罪があまりにも重くて翼を広げられなくなった結果、美の宮殿に行けず現実社会にも戻れなくなりました。このような行く場所もない、変格した自身に救えなさを感じていたゆえ、自ら命を絶つことにしました。

*オスカー・ワイルド
妙なことは、オスカー・ワイルドもドリアン・グレイと全く同じ道を歩いてきました。ワイルドはアメリカに渡航したとき、税関で申告物があるかと聞かれたとき、「申告しなかればならないのか?じゃ俺が天才っていうことを記録しとけ」と答えたから、無論ナルシシズムの一面があるでしょう。しかし彼が優秀者ばかりが集まったオクスフォード大学においても最も輝かしい一人だったから、その魅力の大きさは恐らく今の私達が想像できないと思います。

ワイルドはとてもお洒落で優雅な人で、服装や装飾にかなりのこだわりと独創性を持ち、優雅な見た目と誰も匹敵できない弁舌が揃っているため、典型的なダンデイズムの代表者だと考えられます。今ならダンディと言えば、社会を懐疑したり軽蔑したりする一方であまり世間の苦しさやつらさを知らない甘い人を指すイメージですので、マイナスな色が濃いようです。しかし、デンディには決して誰でもなれるわけじゃないですし、虚栄心ばかりの優雅だって優雅ですから、個人的には気に入っています。大体昔のダンディは見た目がお洒落だけでなく、人に尊敬されるべき才能を持っている例が多いです。「人は芸術品であるか、または芸術品を身につけるかのどちらかであるべきだ」‐-オスカ ー・ワイルドは正に生まれ付きの芸術品でもありますし、眩しい芸術品をいっぱい身につける人でもあります。

このような「芸術品をいっぱい被っている芸術品」である彼にとっては、唯美主義が唯一の行方になるのはもはやおかしくなくなるかもしれません。美をそれほど大事にするのは、その時代において見方になれる人がほとんどいなかったが、それにしてもワイルドは相変わらずお洒落な格好と弁舌で彼と全く違った価値観や審美観を持った人々を魅了できたのです。言葉の遊戯で自分の「信仰」を売るのは、天才のワイルドにとっては何も難しくないようです。彼がパラドックス作りが得意で、一見矛盾した言葉ですが、実際その滑稽さの中に多大な真理が隠れています。ワイルドの同時代の人はそれを分からなくて、ただの笑い言葉として聞き流したかもしれませんが、ワイルド死後の長い1世紀のうち、彼のパラドックス警句によって刺激された人が数えられないほどいます。

しかし、パラドックスに夢中だったワイルドは、いつの間にか生活と人生全体も1つの大きなパラドックスになってしまい、気付いたときはすでに出口のないジレンマに囚われたわけです。「私達はみな溝の中にいるが、それにしても星を見上げる人がいる」‐-星を見上げるときは心が柔らかくてなってとても幸せだった錯覚が出たのでしょうが、現実を忘れた結果溝の中にますます沈んでしまうことはまたワイルドを不幸にさせたと思いました。そしてその不幸はむしろ最初から決まっているのじゃないでしょうか。人を不幸にさせるのは、判断の間違いや他人の迫害よりもその人自身の性格に根付いたものだと考えています。

私はワイルドを、星を見上げろ、とヴイクトリア時代の人々を呼びかけて、みんなを美の世界までに連れていていくような偉い人としてとても思えない。そのような文学・芸術界の巨人みたいなキャラクターより、むしろただの「自分の夢に執着する人」といえばいいでしょう。ワイルドは、ドリアンになりたいという夢と現実との矛盾を知りながらも強引にその二者を調和させようと努力し続けました。ダグラス卿との愛(同性愛)を守るため、卑猥行為で投獄され、さらに破産、母親との死別、妻・息子との絶縁、など惨めなことが次々と起こりました。もともとこのような結果は避けられるはずだったのですが、幼少時代から「一回英帝国の女王の裁判廷に立って告訴を受けたい」みたいな、信じられないほど非常理的な夢を持っていたから、訴えられたときつい自傷したくなって敗訴可能性の一番大きい道を選んだのです。今考えれば、人間というのは、自分を傷付けたり虐待したりすることから言葉で伝えられない快感を得られるもんですね。ワイルドも自分に不利な判決を出されたときに、密かに微笑んだじゃないか、と思いました。

すべてを失った彼は縁を続けてくれた妻・子どもとダグラス卿のうち、迷わずダグラス卿を選び、フランスなどで転々としたのです。そして服役終了後から死ぬまでの間に、かつてオクスフォードの首席だった彼、優雅でプライド高い彼はすでに世間に完全に捨てられました―――世間の理解無能に対して何も恨みを感じていなかったが、認めなくても実際に同世代の人が一人もいなかった孤独な人生を過ごしました。悲劇でした。

しかし、いまなら、彼のお墓に、色様々な唇の印が残っています――それは後人が捧げた愛と理解です―――たとえどんなに孤独な人間だって、いつか、たとえこの世にいなくなっても、必ずいつか誰か分かってくれる人、誰か心を知ってくれる人がいます。それは歴史の車輪が私達にくれたギフトです。

6年ぶりの再読ですが、6年前にワイルドの頭の良さに感服したばかりでした。いまは同性愛以外のものに対して共感が驚くほど大きかったのです。しかし、そのような共感を実生活の中で何一つも行動に移せようと思いません。ワイルドのような人になるのは、生まれつきの素質が必要です。そのような素質を何一つも備えていない自分に対して、むしろほっとした安心を感じています。

2012.01.03

【エッセイ】海図のない未来

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
2012年の年頭記事を読んでいる中で、Wired誌に面白い記事を見つけました。その中から気になった部分を引用します。

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2012年は、既存の何かが大きく変わり、
未知の何かが新しく始まる、
そんな1年であるような予感がしています。

2011年の秋に『WIRED』US版の編集長クリス・アンダーソンに
インタヴューした際の言葉が強く印象に残っています。
彼は、iPad向けのデジタルマガジンのつくりかたについて、
「何が正しいやり方なのか、何ひとつわからない」と語っていました。
「5年後にアプリってものがあるかどうかすら定かではないし」とも。

「それじゃ困るでしょう」と問い返すと、
彼は肩を竦めて、嬉しそうにこう答えたのでした。
「Welcome to the Future. 未来へようこそ」

「未来」には、あらかじめ決定された地図はありません。
仮説を立て、試行錯誤を繰り返しながら
手探りで進んでいくしか、
その地図を手にする方法はありません。
だからこそ『WIRED』は、失敗を恐れることなく
率先して試行錯誤を繰り返していくことが使命だ、と、
クリス・アンダーソンは言います。

最新テクノロジーを切り口に、世の中のあらゆる事象を
リポートしていく『WIRED』の役割は、
つまり、臆することなく社会の斥候の役割を
務めるところにある、ということなのでしょう。

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海図のない未来に向けて、失敗を恐れず、率先して試行錯誤を繰り返していくという営みは、今後メディアだけでなく、大学の使命にもなってくるように思います。
情報化社会が進展すればするほど、社会の複雑さは増大し、予想しないことが起きやすくなります。逆に言えば、試行錯誤によってイノベーションが生まれやすくなっているともいえます。変化が特別なことではなく、常態になること。これこそが現在起こりつつある情報革命の本質なのかもしれません。

変化に適応することを学習と定義すれば、これは、学習が常態になることも意味しています。そのような時代にふさわしい学習環境について、今年も微力ながら研究を進めていきたいと考えています。

山内 祐平


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