2009.09.29

【エッセイ】芸術活動の学習への影響

アート系ワークショップがさかんになるにつれ、それらの活動が学習にとってポジティブな影響があるのかという議論がなされるようになってきています。
ワークショップに限らず、学校教育でも同じ議論が繰り返されてきました。図工・美術・音楽などの教科は、あまり役に立たないものとして取り扱われがちです。

この問題を考えるときに興味深い研究が、1999年にアメリカで行われた、芸術活動の学習への影響に関する研究です。Catterallらが、教育省の持つ25,000名の生徒の成績を分析したところ、以下のことが明らかになりました。

・芸術活動に頻繁に参加している学習者は、そうでない学習者に比べて、高い成績をおさめる傾向があること。
・低所得者層に限って見ても、芸術活動に参加している層とそうでない層の成績に統計的有意差があること。
・低所得者層の方が、高所得者層よりも、芸術活動による成績の差が大きいこと。
・音楽と演劇については、数学と読解の成績と高い相関があること。

この知見は、ヨーロッパやアメリカの困難校で芸術教育を推進する動きと符合します。もちろん、芸術活動はそれ自体で人生を豊かにするという価値がありますが、芸術活動が学習全体によい影響をもたらすことは、芸術の社会的基盤としての重要性をあらわしているといえるでしょう。

[山内 祐平]

2009.09.22

【エッセイ】ラーニングツアーの基盤としてのAR

9月19日、20日、21日と東京大学で行われた教育工学会が無事終わりました。1000名を越える方々にご来場いただきました。ありがとうございました。

教育工学会開催の直前に、博報堂DY、KDDI研究所との共同研究のプレスリリースがでました。

▼CNETによる報道の引用 http://j.mp/9zAPW

 博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は9月25日、26日の2日間、東京大学大学院情報学環山内研究室およびKDDI研究所と共同で、KDDIが現在au oneラボで公開している周辺情報表示アプリ「実空間透視ケータイ」を使った実証実験「東京大学ARキャンパスツアー」を実施する。

 東京大学ARキャンパスツアーは利用者の位置情報を元に、周辺に存在するキャンパス内施設の情報を数十名の現役東大女子学生がナビゲーションするというもの。被験者は本郷キャンパスを初めて訪れる10代から30代の男女20名程度。なお、ARとは「Augmented Reality(拡張現実)」の意味で、実世界上のリアルな人や物体に対して、コンピュータを用いて生成されたバーチャルな情報を付加提示する技術の総称だ。

 この実証実験は、KDDIと博報堂DYメディアパートナーズが共同で開発中の携帯電話向けナビゲーションアプリ「MAWARIPO×実空間透視ケータイ」を利用する。被験者に東京大学ARキャンパスツアーの専用アプリがインストールされた実験端末を持ってキャンパス内を自由に散策してもらい、インターフェースの操作性や、大学に対する好意度・理解度などを検証する。

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学習環境について研究している私が、ARのプロジェクトに関わっている理由について、ここで補足しておきたいと思います。
数年前から、BEAT (ベネッセ先端教育技術学講座)を中心に、モバイル・ユビキタス学習環境の研究を展開してきました。いくつかの研究プロジェクトを通じて見えてきたことは、この新しい学習環境の可能性が「いつでも・どこでも」という普遍性ではなく、「今・この場でしかできない学びを生み出せる」という特殊性にあるということでした。
場所と時間に依拠した強力な学習経験として、誰でも思い浮かぶのが、旅の中での学びでしょう。最近は、ラーニングツアーという形で、この可能性を新しい学習環境として構成する動きがあります。
今回のプロジェクトは、東大キャンパスツアーというミニマムな構成をとっていますが、ラーニングツアーの基盤としてARをどう活かすかという発想でデザインされています。そのため、本やネットで調べられるような情報(赤門の歴史など)をあえて取り扱わず、そこで暮らす人々(ここでは大学生)の生活に埋め込まれた物語を聞き、想像してもらうという活動を中心にしています。実証実験は来週行われますが、新しいテクノロジーによって、儀式化したツアーを変えることができるのか、楽しみにしています。

[山内 祐平]

2009.09.17

【山内祐平のゼミズバッ!】「学び」にまつわるエトセトラ。

山内先生に研究にまつわる疑問をなげかけるインタビュー【山内祐平のゼミズバッ!】
最終回は博士課程3年の森がお送りします。

私はもともと哲学科出身ということもあり、学びに関する研究に関わっていく上で、
根本的な部分について、もやもやしていたことを問いとしてぶつけてみました。
普通なかなか、こういう話は青臭くってできないですよね(笑)
この際、聞いちゃいました。

■なぜ、人は「学ぶ」のか?
それは、人が環境に適応していくためです。

ーそれは、適応して満足したら学ぶのは終わる、ということですか?

環境の方が変化するから、そういう日はこないでしょう。
私は、学習は行動のソフトウェア的な進化だと考えています。
生命は突然変異と自然選択を繰り返しながら進化してきましたが、我々はハードウェア的に進化する代わりに、学習することによって環境に適応し、文化として伝えるという営みを行っているのです。

■学習と教育の関係
ーそれでは、なぜ教育は存在し、また、大事だとされているのでしょうか。学習と教育の関係について、先生のお考えをお聞かせください。

学習と教育は違う概念ですね。
なぜ国家が教育を重視するかというと環境に適応できる人間が沢山いる方が繁栄するからだと考えています。
すなわち、学習者が学習するロジックと、国家が教育するロジックは、受益者が違う。そこは重要なポイントなのではないかと思います。

ーそこは混同されていると健全ではないような気がするんですが、どうなのでしょう。

チャーチルが「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制を除けば。」と言いましたけれども、それと同じでしょうね。
今の教育と学習の関係が健全だとは思いませんが、歴史上、それを越える関係が築かれて来なかったということです。
今後、その可能性がないという意味ではありません。現代は、国家統制型の教育よりも自律的な学習の方がどんどん強くなってきています。
情報通信技術が発達してきて、国家がコントロールできない形での情報の流通、それにともなう自然発生的な学習というのが人間の全生活をしめる割合が増えているんじゃないか・・
例えば、教科書で学んだ情報と、教科書以外、メディアで学んだ情報とか。その辺の比率は多分だいぶ変わってきているんじゃないか。
今後、この力関係が変わってくる可能性はあるな、と思っています。

■徒弟制に替わる、新しい学習モデルはあるのか?
ぼんやりとは見えているのですが、良い言葉がみつからないんですね。
徒弟制っていうのは、持続的なコミュニティをベースにしていますよね。
それを否定するわけではないんですが、なんていうか、コミュニティよりも薄くって、広くって、うつろいやすい人と人とのつながりの形が大事なのではないかと思っています。
ワークショップもそうで、twitterもそうで、コミュニティみたいにしっかりした基盤はないんだけれど、偶発的に人と人とがつながってそこで情報が交換されるような。
徒弟制は残ると思いますが、そういうゆるやかなネットワークの中での学習が、徒弟的な学習と同じくらい重要になる可能性があると思っています。
このようなつながりが注目されるようになったのは、情報通信技術が出てきて、そういうつながりが、可視化されたり蓄積されたりするようになったからだと思います。
ワークショップはITの前からあったし、そういう話は今までもあったはずなんだけれども、勢いを得るまで力が伸びなかった。ところが今は、ワークショップやったあとにつぶやいて、という風に、つながりを持続させながら関係を変容させることができます。
コミュニティという図式じゃない方が上手に説明できる気がするんだけど、それをどういう言葉であらわせばよいか、まだちょっと迷っている段階です。

■「学習」と「研究」って同じ?どこが違うの?
研究は、価値創発的活動である、それだけですね、違いは。
プロセスはほとんど同じだと思います。学習には当然、知識獲得したり、思考したりすることが必要ですが、そのプロセスは必ず研究にも入っていて、だからこそ学びと創造は表裏一体なのです。
ただ、研究は社会的活動なので、そこで価値創出を保証しなけれないけない。つまり、今までこの世になかった価値をそのプロセスによって生み出していかなくてはいけない。その義務が研究にはあるけれど、学習にはない。そこが違いなんだと思います。

ーーーーー
■最後に・・・
山内研では、個々の研究テーマに、ばらつきがあります。でも、だからこそ、学習をめぐる本質的な議論を積極的に行う文化があるように思います。
こんな青臭い議論にもおつきあいいただける、それが山内先生です。

興味がある人は、先生や、私たち院生とおしゃべりしに
福武ホールのLabに来てみてくださいね!

今週末(金・土・日)は
日本教育工学会@東京大学です。
学びと教育、そして研究に携わる1学生として、私も精一杯頑張ってきます。

それでは、また!

2009.09.15

【エッセイ】大学でのTwitter利用

アメリカの教育業界向けeNewspaperであるFaculty Focusが、大学でのTwitter利用に関して調査した結果を公表しています。

Twitter in Higher Education: Usage Habits and Trends of Today's College Faculty
http://bit.ly/sEtBh

この報告によると、対象となった約2000名の教員のうち、Twitterを利用しているのは30.7%で、その7割が今後利用を増やしたいと回答しているそうです。しばしば利用している使い方としては、同僚とのコミュニケーションが37.4%、学生との情報交換が25.9%、授業での学習ツールとしての利用が16.6%となっています。

日本ではゼミ中心の教育体制をとっている大学が多いので、今後日本の大学でTwitterの利用が増える場合は、違った傾向が出てくるかもしれません。個人的には、安定した学習共同体を持っており、徒弟制を重視する日本型の方が、Twitterの教育的意義を出しやすいと考えています。

[山内 祐平]

2009.09.10

【山内祐平のゼミズバッ!】大学の今とこれから

院生の研究テーマに関連して,山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第7回は修士1年の伏木田がお送りします。

私は,問いかけを通して理解が共有・深化されるプロセスに興味を持っています。大学の授業が問いかけを軸に「話し合う場」として機能することで,学生の学びたい気持ちが引き出され,新しい気づきや充足感へとつながっていくのではないかと考えています。
近年,大学は大きな転換期に突入していると指摘されており,それに伴って教員の在り方も変化しつつあるように感じます。教員の役割,学びとその支援といった大きな視点からお話を伺いました。


■大学教員に求められる役割には,どのようなものがあるのでしょうか?

大学の教員の仕事は大きく3つに分けられると思います。そして,この3つの専門性を同時に満たすことが,これからの大学教員に求められている役割だと考えています。 
  (1) 研究:新しい知見,アイディアを生み出す
  (2) 教育:研究で培った専門性をもとに次世代を担う人々を育てる
  (3) 社会との関係性づくり:社会の中で一定の役割を果たすことが期待されている
社会から見たとき,大学の教育機能が前面に押し出されがちです。そこへの圧力も可視化されやすい。けれども,教育だけに精を出して研究をしなくていいのかというと,そう単純な話ではないでしょう。個人的な意見ですが,大学の教員が教育において専門性を発揮しようとすると,研究をきちんとすることが大切になると考えています。大学に期待されているのは,「何かを生み出すことを教える」ということです。課題解決や課題発見の意義や方法を学生に伝えるためには,教員自身が日頃から実践していないとなかなか難しいでしょう。つまり,教育の専門性をある程度の水準以上に高めるためには,研究という行為を通して,何か問題を見つけて真摯に向き合うことが背景として重要なのです。
「教える・学ぶ」は複雑で大きい事象なので,教育方法だけに還元するのはいかがなものかと感じています。もっと対極的でマクロな見方をした方がいいのではないかというのが私の考えです。断片化された知識以上のことを学生が学ぶためには,「何か新しいものを生み出そう」という意欲を教員が持ち続けることが大切だと考えています。


■社会との関係づくりをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか?

研究が何に役立っているのか,その意義が社会になかなか伝わっていない現状があるからこそ,先に指摘した専門性の(3) が大切だと考えています。学問領域は多種多様なので,すべての領域で短期的に役立つことは必要とされていません。今は何に役立つのかさっぱりわからないけれども,50年後,100年後の人類の知的財産として重要だと主張できればよい分野もあるでしょう。社会が成熟するにつれて,大学を維持する社会との関わりをきちんと考える必要性が出てくると思います。
大学院を修了した人材がかならずしも大学の教員になるわけではありません。けれども,自分が持っている専門的知識を,それを媒介していない人に伝えることがまったく必要のない職場というのはないでしょう。だからといって,伝えることに必要な技術を,教育方法という形で特別に教育するのがよいというわけではありません。教員は本来,問題解決が出来る人が多いですし,世間で言われるよりも教育に興味・関心を持っているからです。
大切なのは,対話の中でお互いの知識を共有することであり,そういった経験は日頃から積んでおいた方がよい。また,大学はその機会を保障するのが望ましく,CSCD(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/)でのワークショップの実践もそのひとつです。「やりたいこと・やってきたことを説明する力」をすべての学生が身につけ,そういった力をベースに社会と関係をつなぐことを出来た方がよいと考えています。


■教員の学びをどう支援していくことが求められているのでしょうか?

何か問いを作り,それに対して真摯に向き合うことはある種の文化であり,知識やスキルと同じように伝えていくべきものです。「物語る」というのは非常に重要な行為で,例えば,自分が学んでいることの意味や,研究することの面白さ,なぜそのテーマを取り扱っていているのかといったことを教員が学生に伝えるのはとても大切なことです。
研究のきっかけやポイント,失敗などを,研究内容それ自体と合わせて語ることで,大学の教育活動は完結すると考えています。本来はその両者が有機的に組み合わされることが理想ですが,それはなかなか難しい。実際,今日の大学では,先輩や教員との語りをはじめとする「研究室の文化」の中で,そういったつながりが成り立っていると言えるでしょう。つまり,フォーマルな授業よりも,研究室で行われているインフォーマルな学習の方が,いろいろな点で重要な役割を果たしているかもしれないということです。
研究室の運営や授業の組み立ては,大学に就職する前に細々と説明されたからといってすべてを理解できるものではありません。新しく来た教員が,自分なりの授業のやり方を開発していくのを支援するためには,出会いの場を設けて他の教員の体験談を聞けるようにするのも良い方法でしょう。最近よく言われるFD(Faculty Development)とは,教員の可能性が開発されることを指していると考えています。

‐‐‐
教育をするための背景として研究を捉え,研究から得られた知見だけでなく,自分と研究との結び付きを物語ることで大学教育が完結するというダイナミックな考え方に心躍るひとときでした。知見・技・語り,この3つの要素が詰まった研究室(ゼミ)の文化を探るのも,学生および教員の学びを考える上で面白そうだと感じました。

[伏木田稚子]

2009.09.08

【エッセイ】イノベーションは誰のため?

9月5日(土)に 「日本の教育×オープン・イノベーション:世界に貢献できる人財づくりと教育富国を目指して」と題して、マサチューセッツ工科大学教育イノベーション・テクノロジー局 上級ストラテジストである飯吉透氏、立命館副総長(新戦略・国際担当)の本間政雄氏、京都大学教授・高等教育研究開発推進センター長の田中毎実氏を迎えてBEAT Seminarを開催しました。
3人の講演者からは、大学教育の未来像について熱いお話しをいただき、恒例のグループディスカッションももりあがりましたが、最後に私がパネラーのみなさんに投げかけた「イノベーションやそれに付随する改革のメリットを学習者に向かって説明してください」という質問に少し面食らっていらっしゃったようです。
この質問は会場のディスカッションから出てきたものですが、私自身すぐに答えてくださいと言われたら困っていたと思います。自戒をこめて、こういう問題は供給側の論理になりがちで「学習者にとって」という議論にならないからです。
その上であえて自分なりに答えるとしたら「学びの機会が多様になります」ということでしょうか。MIT Go Global プログラムのような国際研修プログラムは、学習者に自らのキャリアと学習の関係を考えてもらう絶好の機会となるでしょう。国際化というと留学生を受け入れる方向に目が向きがちですが、本当に重要なのは受け入れと同じ量の学生を「外に出す」プログラムだと思います。
また、OpenCouseWareをはじめとするITを利用したオープンイノベーションは、今受けている授業の"Second Opinion"を創り出したといえます。長期的にはリアルタイムの国際共同授業も展開され、大学の垣根は徐々に低くなっていくでしょう。これにより、学生が受けられる授業の幅は格段に広がります。
もちろん、現時点での多様性は「学習機会」に関するものであり、学習の質が保証されているわけではありません。今後大学では、オープン化によって得られる機会の多様性を学習者の成長につなげていくための、コーディネーターの役割が重要視されるようになっていくと考えています。
[山内 祐平]

2009.09.03

【山内祐平のゼミズバッ!】研究の道を志す外国人留学生

院生の研究テーマに関連して、山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第6回は修士1年のテイがお送りします。

母語の異なる学習者が相手から学び合うランゲージエクスチェンジを研究する私も、この東京大学においては、ひとりの外国人留学生です。そこで、本日は日本の大学院で研究の道を志す外国人留学生という切り口で、先生にお話をお聞きしました。

【テイ】今年度は、大学院新入生のうち、留学生が500人もいると聞いていますが、この数値についてどう思いますか。

【先生】外国人留学生は確かに増えていますが、東京大学が世界から優秀な頭脳を集め国際的な競争に勝ち残っていくことを考えると、この数値は十分とはいえません。MITでは外国人学生の割合は4割近くになります。東京大学も将来的に3割近くになっても不思議ではありません。

【テイ】MITのような英語を使う大学とは違い、日本の大学に来る外国人には日本語が要求されるのではないでしょうか。

【先生】必ずしもそうとは言えません。東京大学はGlobal 30プログラムに参加し、入学から大学院修了まで英語で指導を受けられる体制を整えつつあります。理系では、このような傾向は今後顕著になってくるでしょう。ただ、文系の、文化や言語に依存する領域では、日本語の重要性は下がらないと思います。
実際に研究室に配属された場合は、日常会話の壁を乗り越えても、大変なことがあります。それは、論文を読んだり、書いたりすることができる学術日本語の能力です。日本人学生にも専門用語がよく分からずに入学してくる学生がいますが、やはり母語ということで、慣れるのが早いようです。留学生にはこの点でハンディがあります。

【テイ】専門用語をマスターするだけではなく、専門領域で人のつながりを読み取るのもなかなか難しいと思いますが、何かご意見、アドバイスいただけないでしょうか。

【先生】確かに、人のつながりは研究を進める上でとても重要な情報です。人のつながりは横と縦と分けることができます。研究プロジェクトのネットワークである横のつながりは、論文をたくさんと読むことによって、だんだん分かってきます。読み取りにくいのは縦のつながりですね、つまり誰がどの先生のもとで学んだかという情報です。これは学会などで懇親会に参加し、話のはしばしから手に入れるのがよいでしょう。

【テイ】外国人留学生のなかには、自分の母国と日本の対比で研究する人がいますが、研究テーマが重なる可能性も高くなりますね。オリジナリティを求める際には、どうすべきだと思いますか。

【先生】研究を進めるために、それぞれの人が持っている有利な条件を生かすのは外国人留学生には限りません。ですから、留学生が母国との比較研究をすること自体は問題ないと思います。ただし、対比そのものに研究のオリジナリティを求めるのではなく、新規性の高い研究テーマを設定した上で、実現するための方法として考えるべきでしょう。

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